五感で走った北海道(その7)

平成29年7月14日、ツーリング6日目。ハマナス交流広場キャンプ場で朝を迎えた。
※訂正があります。前回(その6)の最後に掲載した2枚の写真は、文面から夕日の写真になっていますが、正しくは朝焼けの写真でした。撮影データを確認したところ14日の午前4時30分に撮ったものです。午前4時過ぎに漁船の音で目覚め、テントを出たところオホーツク海が燃えるような朝焼けになっていたので、思わずカメラを取り出したのでした。一方、次の写真が13日の午後4時、テント設営時の写真です。

さて、午前7時30分、荷物を積み終えキャンプ場を後にする。国道238号を紋別、サロマ湖に向かって走る。1時間ほど原野と牧草地の単調な道を走ると、枝幸町から雄武町に入った。このあたりは大規模な牧場が目につく。そんな中、一面の牧草地に黄色い花が咲き乱れている牧場があった。思わず足を止めてカメラを出した。さらに走ると今度は、刈り取った牧草をロール状にラッピングした「牧草ロール」が運動会の大玉転がしのようにゴロゴロとある。

牧草地の中に一面の黄色い花。なんの花だったのだろう。

 飼料ロール。山形で見かけるものより一回り大きい。
牧場の風景とオホーツク海を眺めながらのんびりツーリングが続くと思っていたら、甘かった。今回のツーリングで最大の試練が待っていた。横風である。今日、オホーツク海沿岸には強風注意報が出ていたが、風を遮るものがない真っ直ぐな道を走っている時、内陸から海に向かって吹く風が急に強くなった。荷台のボックスの上にマットや寝袋をくくりつけたカブの側面に容赦無く吹きつける。まっすぐ進むには車体を風上に傾け、ハンドルを逆にねじる。かぜの強さにも強弱があるのでヨロヨロ運転になる。時おり抜いていく大型トラックからは危なっかしく見えたに違いない。さらに風が強くなり危険を感じて、とうとうカブを押して歩いた。風を遮るものがあればと前方を見てもそれらしいものはない。強風は1時間ぐらいで弱まったが、心臓がドキドキした1時間であった。

紋別にある道の駅のシンボル
強風と格闘しながら着いた先は、紋別市の郊外にある道の駅オホーツク紋別。カニのハサミの巨大モニュメントがある。ライダー達の撮影ポイントになっているので、私もパチリ。しかし、どうしてカニのハサミだけなのだろうか? 胴体まで作る費用が足りなかったのだろうか。確かに一つの部位だけでカニと判って、インパクトがあるので製作者の狙いは当たったと思う。これは、甲殻類のカニだからモニュメントになるが、サルやヒトの腕だけだったら夢でうなされるに違いない。夢を見るなら広い草原の上を飛んでいる夢がよい。このツーリングではそんな草原をいくつも見たが、一度も夢に出てこない。
さて、強風からもなんとか逃れ、カニのハサミからも襲撃されずにサロマ湖に着いた。海か湖か区別がつかないまま走っていると、国道沿いに直売所を兼ねた海産物工場「北勝水産直売店」があったので休憩を兼ねて立ち寄った。生ホタテをその場で食べられるコーナーがあったので、五感の一つ味覚を味わおうと早速食べた。柔らかく、とろりとした食感で瞬く間に3個が喉を落ちていった。いわゆる「舌が追いかけていく美味さ」である。家への土産もここから送ったが旅行者に好評の店であった。

(株)北勝水産の直売店(ホームページから)

生ホタテ。わさび醤油で食べた。これで200円は安い。
 サロマ湖を過ぎて、能取湖と網走湖に沿って走るとやがて網走市街だ。ここでは、観光の定番「網走監獄」を観光した。ちなみに「網走刑務所」は現役の刑務所なので、それなりの罪を犯さないと入ることができない。一方の「網走監獄」は日本最古の刑務所を移築・修復された博物館である。入館料1080円を払うと誰でも入れる。広い敷地に木造の建屋が何棟か立っている。団体観光客に紛れてガイドの説明を聞きながら館内をめぐる。リアルなマネキンが当時の様子を再現している。木製の格子は、角度によって廊下から牢内は見えるが、逆は見えにくくなっているなど工夫されている。この網走監獄で私が一番興味を持ったのは、博物館の一角にあった現在の牢獄を再現した部屋であった。これは、なかなか見る機会も入る機会もない。まず驚いたのは待遇の良さである。四畳の和室(和室と呼ぶのはどうもおかしい、畳の部屋としよう)にはテレビ、机もある。テレビは午後7時から30分見ることができるという。プライバシーを考慮して一人一部屋の独房になっているという。三度の食事も栄養バランスを考えたもの。これはガイドから聞いたことなので、全ての刑務所がそうなのかは解らないが、モデルルームを見る限り都内の3〜4万円のワンルームアパートより良いかもしれない。さて、1時間ほど見学すると外は炎天下でかなり暑い。監獄の軒先にあった寒暖計を見ると35度を示している。たまらず木陰に入る。観光客もこの暑さにびっくりしている様子で、ソフトクリームの溶ける早さに追いつこうと一生懸命だ。

 網走監獄の入口。リアルなマネキンが迎える。

牢獄が並ぶ棟

 現在の牢の内部
さて、午後3時になるので今日のキャンプ地を決めなくてはならない。明日は知床半島に向かうので、その方面のキャンプ場をマップで探す。知床半島のつけ根にあたる斜里町に「クリオネ」というキャンプ場がある。1時間で行けそうなのでちょうど良い。ここに決めようと猛暑の網走をあとに斜里町に向かった。そして、午後4時には斜里町の町外れにあるクリオネキャンプ場に着いた。

今日の走行距離257キロメートル この続きは(その8)で‥
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五感で走った北海道 (その6)

平成29年7月13日、ツーリング5日目。とままえ夕陽丘キャンプ場で朝を迎えた。晴れてはいるが薄い雲が空全体を覆っている。雨の心配はなさそうだ。隣のテントのハーレーを見送った後、私も8時に出発する。今日の予定は、最北端の宗谷岬まで北上した後、オホーツク海沿岸を南下し、時間をみて最寄りのキャンプ場を探すことにする。苫前からおよそ2時間でサロベツ原野の南端の町天塩町に着いた。ガソリンはまだ余裕あるが、これから行くサロベツ原野の真ん中でガス欠になると怖いので給油する。1.75リットルだけで恐縮しながら238円を支払い、ついでに道を確認する。スタンドの青年は、笑顔で対応してくれた。天塩町から稚内までは海沿いの道道106号を走った。天塩町を過ぎて人家のない荒涼とした原野を走っていると間もなく「オトンルイ風力発電所」現れた。約3㎞にわたって28機の風車が並ぶ光景はとてもシュールに感じる。

道道106号(グーグルマップのストリートビューから)

オトンルイ風力発電所 28機の風車が3キロメートル続く

地平線が見えるサロベツ原野

一方は日本海
 私は、高校の時に実習で写真現像を体験してから写真が好きになり、写真展にも応募していた時期があった。しかし、デジタルカメラが一般化した頃から写真への興味が薄れ、当時月賦で買った高級フィルムカメラも眠ったまま、もう日の目は見ないだろう。多分その理由は、デジタルカメラになってから、撮る費用や撮った結果を見るまでの時間が格段に手軽になったことが逆に、フイルム一枚一枚に込めていた時の熱意を無くしたのだと思う。安月給の身にはシャッター一押し50円以上は大きかった。デジタルカメラのようにお金を気にせず何枚も撮り、すぐに結果を見て気に入ったものだけ残すことができる今とは格段に違う。また、デジタル処理によって本来写真が持つ一期一会のシャッターチャンスも揺らいできたと自分勝手に思ってきた。しかし、今回のツーリングでデジタルカメラの良さを再認識した。これまでデジタル処理を邪道だと思っていたが、撮影の意図がより伝わるのであればそれも手法の一つだと考えが変わった。
ここに、サロベツ原野で出会った一つの光景の3枚の写真がある。1枚目はそのままの色調で撮影し、2枚目は白黒で撮影したもの。私がその場で感じた無常観や非日常感を表すにはもっと何かが欲しいと考えた結果、デジタルカメラに付いている「ソリッドモノカラー」という機能を使い、白黒をベースに赤色系だけを強調することで、運のなかった子鹿を強調してみた。この3枚いかがでしょうか。

そのままの色調

白黒で撮影

 白黒をベースにして赤色系を強調した

さて、サロベツ原野を走っていると何台かのバイクとすれ違ったが、いずれもすれ違いざま左手を上げて挨拶を交わす。中には少し手前から手を振るライダーもいた。このロケーションが生む高揚感を表しているようだ。ちなみに私に手を振ったライダーは女性だった。一瞬の出会いではもったいないなんてネ。
晴天であれば、利尻島や礼文島が見えるところだが灰色の雲が遮っている。ノシャップ岬の漁港に行ったが、魚貝の匂いの中で何隻かの漁船が係留されているだけで、島影は見えなかった。
正午近くに稚内市内に入った。セイコーマートで買ったドリンクで一服した後、約30分後に宗谷岬に着いた。バイク雑誌で何度も見たモニュメントの前で観光客は写真を撮っていた。それは他の観光地と変わりないように思える。でも、モニュメントの近くの歌碑から「♪流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメも啼いて 遥か沖ゆく 外国船の 煙もうれし 宗谷の岬‥♪(作詞:吉田弘 作曲:船村徹)」とダカーポの歌が途切れることなく聞こえてくる中で、それぞれが最北端の地に来たという思いを記録しているのだろう。土産物店や最北の地を強調した食堂の看板を眺めたあと再び走り始めた。ここからはオホーツク海沿岸の国道238号を南下する。

最北端の地のシンボルと間宮林蔵の像

道路の向かいには食堂があって、この地を目一杯にアッピール

岬から15分ぐらい走った時、海辺で地引網を引いている場面と出会った。小学生と父母たち40人ぐらいが歓声をあげている。網はほぼ引き終わっているが道路からは魚は見えない。一方では炭火でバーベキューの準備をしている。国道沿いには集落は見えなかったが、内陸の方には集落も学校もあって、何日も前から準備していた親子行事が今日なのだろう。そんな地元の日常を眺めて、また走り出す。

地元の小学生が地引網引きをしている光景に出会う
 さて、午後2時にもなったので今日の宿泊地を決めなければと、マップでキャンプ地を探す。この国道238号沿いには、猿払村、浜頓別町、枝幸町といくつかのキャンプ場がある。その中から距離をみて枝幸町の「はまなす交流広場」に決めた。途中いつものようにセイコーマートで夕食を調達し、午後4時に目的地に着いた。そこは道の駅「マリーンアイランド岡島」の隣にあって、オートキャンプ場と芝生のキャンプ場の2つのエリアがあった。いずれも無料で炊事場やトイレを完備している。オートキャンプ場にはキャンピングカーが10台近くあったが、100メートルほど離れたキャンプ場でテントを張ったのは私だけであった。

広いキャンプ場にポツンと1張り

 漁場から帰るのだろうか漁船一艘(キャンプ場から眺める)
夕暮れまで周辺を散策した。すぐ近くが海だが草が茂って波打ち際は見えない。空は、日が傾くにしたがいコバルト色から群青色に変わり、水平線はオレンジ色の濃さを増していった。あたりが薄暗くなり、近くの林から聞こえる鳥が啼く声が一層大きくなった頃にテントに入った。

今日の走行距離268キロメートル
この続きは(その7)で‥
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五感で走った北海道(その5)

7月12日、ツーリング4日目。安平町の鹿公園キャンプ場で朝を迎えた。昨夜の雨は夜半に止んだのだろう、広い駐車場に水溜りは一つもない。公園には散歩する人も1人、2人見える。テントを乾かしているところに60代と思われる散歩中の男性が声をかけてきた。「バイクで旅行中ですか。いいですねー。私もやりたいなー、でも女房がうんと言わないなー 自衛隊を定年で退官してから、女房と車で旅行はしたんですが、腰が悪くなってから長距離はちょっと‥」「ここは良い公園ですね、設備が整っていて」と私、決してリップサービスではない。トイレは広く綺麗でウォシュレットも付いている。今朝使った実感だった。さらに日帰り温泉も近くにあるなんてツーリストにとってはありがたい。そんな会話をして男性は公園内の散歩コースに向かった。荷物を積み終えた7時45分、誰もいない駐車場を一回りしてから次の目的地に向かった。
 悠々と流れる石狩川
目指すのは最北端の宗谷岬だが、途中で一泊が必要、どこのキャンプ場にするかは状況を見ながら臨機応変に行こう。進路を北に、岩見沢、滝川、留萌、稚内と向かう。ん! 滝川、留萌、稚内‥なんか聞いたことがあるぞ! 「♪留萌・滝川・稚内♪」歌の文句だ。何の歌だったかなー ハンドルを持ちながら口ずさんでいるうちに思い出した。北島三郎の「風雪ながれ旅」だ。「鍋のコゲ飯袂で隠し 抜けてきたのか親の目を 通い妻だと笑った女の 髪の匂いもなつかしい アイヤー アイヤー 留萌・滝川・稚内」(作詞:星野哲郎) 唄の世界ではあるが、今、スーパーカブで走っているこの道を、昔、盲目の門付け芸人が杖をつきながら北に向かったのだろうか。私もアイヤー アイヤーと口ずさみながら原付バイクに荷物を山と積んで走っていると、現代の門付けと間違われそうだ‥なんてネ。

道内に27箇所ある自衛隊駐屯地の一つ留萌駐屯地
その滝川の手前で「美唄」という町を通った。唄の上手そうな美人が歩いていないか眺めながら走ったが、それらしい人は見当たらなかった。滝川から留萌に向かう途中、平野を悠々と流れている石狩川を渡った。川幅も広いが川の両側に広がる葦原も広大だ。大きく蛇行する川を見ていると自然の大きさが感じられ、流域面積が利根川に次いで全国二位もうなずける。国道233号の美葉牛峠を越えると日本海に面した留萌市に入る。さて、今日のキャンプ地はどこにしようかなどと考えていると、国道脇のグランドにカーキ色の多数のテントが張られているのを目にした。はて? バイクを停めてよく見ると大型ヘリコプターもある。陸上自衛隊留萌駐屯地であった。グランドに所狭しとテントが張られているのは何かの訓練なのだろうか。言わば野営のプロ集団である。今日はどこのキャンプ場にしようか‥などと考えている私はアマチュアである。調べて見ると道内には27もの駐屯地があるではないか。

留萌から国道232号を北上するとオロロンライン
さて、その留萌から日本館沿岸に沿って走る国道232号をひたすら北上する。日本海オロロンラインと呼ばれる快適なコースだ。青空のもとフラットな海岸線沿いの国道をひたすら走る。海と反対側は原野の丘陵で同じような風景がどこまでも続く。やがて道の駅「おびら鰊番屋」が見えてきた。休息しながらニシン漁で栄えた頃の展示品を見た。改めて知ったが、大量に獲れたニシンの大半は天日乾燥して肥料として本州に送られたとのこと。田畑の肥料にしたとは今考えるともったいない話だが、化学肥料がまだない時代には、食糧増産は富国強兵とともに国の命題だったのだろう。それと北海道に駐屯地が多いこととは関連がないと思うのだが‥
道の駅おびら鰊番屋の隣にある文化財「旧花田家番屋」
さて、今日のキャンプ地をどこにするか地図を見た結果、この国道232号オロロンライン沿いにいくつかキャンプ場があって、その中から、「とままえ夕陽丘キャンプ場」に決めた。町営で有料だが隣に「苫前温泉ふわっと」があり、4日ぶりで風呂に入ることもできる。午後4時にキャンプ場に着き、管理事務所で500円を支払い指定された場所にテントを張る。近くに、千葉ナンバーのハーレーで来ていた40代前半と思われる男性の先客がいた。彼もこれから北海道を回るというので、天候や愛車を話題に話をした。しばらくして話が途切れた頃合いをみて、夕食の買い出しに行く。初めての街でスーパーを探すのは時間の無駄なので、散歩中の女性に尋ねると「苫前にはスーパーは無いのよ。隣町に行かなければ‥」「コンビニは?」「セイコーマートならそこの道を曲がって‥」ということで北海道で最も多いセイコーマートで今宵のディナーを調達した。ちなみにセイコーマートは1,085店舗とセブンイレブンの949店舗を抜いている。
 夕陽丘キャンプ場
 キャンプ場の丘から見た苫前港 苫前温泉ふらっと。日帰り温泉を兼ねたホテル(パンフレットからの写真)
 夕陽丘キャンプ場という名称からも高台から望む夕日に期待したが、水平線の雲が夕日を隠して、残念。夕食前にキャンプ場の隣にある日帰り温泉「苫前温泉ふわっと」で4日ぶりの風呂を満喫したあと、いつものようにテントの中で1人ディナーを楽しんだ。
 本日の走行距離202キロメートル この続きは(その6)で‥

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五感で走った北海道(その4)

7月11日、ツーリング3日目。東大沼キャンプ場で朝を迎えた。キャンプでのツーリングは早立早着に心がけている。登山と一緒である、と言っても今日一日の晴天を約束するようなキラキラする光が漏れる木立の中にいると、テントをたたむ作業もゆったりしてくる。何の野鳥か知らないさえずりも聞こえる。駐車場には、昨日のワゴン車のほか乗用車5、6台と大型バイク4台があった。カブの隣に停めてある2台バイクは60代後半と思われる男性2人がそれぞれ荷物を積み終わり出発しようとしていた。簡単なあいさつをして見送った。私も荷物を積み終えると、名残りを惜しむように駐車場を一周してキャンプ場を後にした。湖畔の道路を半周し函館本線(大沼回り)の踏切をわたると間もなく国道5号に出る。そこから噴火湾沿いに長万部方面に向かう。海岸線のそばを通っているが、両側の樹木が深く海は見えない。ほとんど直線の道路は走りやすく、110ccの原付カブとはいえ車の流れに乗って走れる。

大沼を周回する道路

 函館本線(大沼回り)の踏切をわたると間もなく国道5号

出発から2時間で長万部を通過した。長万部は人口6000人を切った小さな町だが、覚えやすい名前のため頭に残っている。昔、初めて日本地図帳が学校教材になった小学生頃、クラスメートと面白い名前の土地を探すことに夢中になった時があった。何と言っても北海道がダントツであった。長万部とともに今も頭に残っているのは「ウペペサンケ山」である。同じクラスにいた三瓶という女の子とつながってしまって笑い出したこともあった。また、長万部は三木のり平が一発芸と言ってよいのか「オシャ・マンべ!」と変なアクセントをつけて笑いをとっていた時もあった。タケシの「コマネチ!」より前だと思う。その長万部を過ぎて室蘭を目指す。途中、洞爺湖の近くを通るが湖には寄らずに先を急ぐ。実は、昨日あたりからスーパーカブのエンジン付近から気になる唸り音がするようになっていた。それもアクセルを戻した時だけ音が出る。もしやと思ってバイクを停め、チェーンのケースの点検窓を開けチェーンの張りを見たところ、パンパンに張り過ぎていた。チェーンに遊びが無いことが唸りの原因とわかった。このツーリングの前に行きつけのバイク屋でブレーキシューの交換とチェーンも調整してもらったばかりだったのに。おかしい。考えてみると、荷台のボックスや荷物を積んでいない状態での調整だったので、重量物を積んだ後スプリングが沈みチェーンが張り過ぎてしまったのだ。今回のツーリングで持ってきた工具にシャフトナットに合うレンチを持ってこなかったので、バイク屋を探すしかない。そこで次の町の室蘭に急いでいる。正午過ぎに室蘭市街に入りバイク屋を探すと、丁度よくバイク販売店があった。「昼時にすみません。実は‥」とお願いしたところすぐに調整してくれた。工賃540円で済んだ。再びバイクを走らせると異音はしなくなった。気のせいかエンジン音も軽やかに聞こえる。やはり、機械も人間も遊びは必要なのだろう。張りつめたまま走り続けるとエンジンにも無理が加わり、いずれチェーンは切れただろう。

 室蘭市内のバイク屋で張り過ぎたチェーンを調整してもらう
さて、昼も過ぎたので今日のキャンプ地を決めなければ‥ 距離や地図に載っているキャンプ場を見て、苫小牧から北に25キロメートルほど離れた安平町(旧追分町)の鹿公園キャンプ場に決める。室蘭から苫小牧までの原野を走る国道36号は直線で走りやすい。

「かに御殿」という巨大なクマが屋根に乗っている食堂もこの沿線にあった。
さて、苫小牧市街に入り幹線沿いのラーメン店に入る。遅い昼食になったが、空腹には全国チェーンのラーメンも美味しかった。レジで二十歳代の女性店員に追分町に向かう道順を聞いたところ「追分高校は私の母校なので、よく知っているんですが‥ここから行くとなると‥えーと‥」急な質問にまごつきながらも丁寧に教えてくれた。そして、夕方6時前には今日のキャンプ地である鹿公園についた。この公園は安平町立の有料キャンプ場で公園内のログハウスが管理棟になっており申込書を記入する。テント1張り500円であった。近くに日帰り温泉もあるがあいにく休館日であった。残念。夕方から雨が落ちてきたので、バイクは東屋の下に停め、近くの桜の樹の下にテントを張った。駐車場は広く近所の子供たち5、6人が遊んでいた。夏休みが近いからだろうか声に元気がある。

 鹿公園の入口

 鹿公園のキャンプ場

今日は大沼公園から安平町まで走った
 今日は260キロメートル走り心地よい疲れの中、テントの中で雨音を聞きながら寝袋に入るのであった。 この続きは(その5)で‥

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五感で走った北海道(その3)

自宅を出発し2日目で北海道に着いた。函館市内でも見学したいところだが、午後3時30分を過ぎているので、まず今日のキャンプ地に落ち着くことが先決だ。そこでキャンプ地を北海道でも人気の高い「東大沼キャンプ場」に決めた。函館からは約35キロメートル、約1時間で着くだろう。まず、函館市内で今夜の食料を調達する。今回もキャンプでの食事はスーパーやコンビニの惣菜や弁当にする。以前は簡単な調理をしたこともあったが、調理する時間より走る時間を長く取りたいことと、荷物をより少なくしたいことから携帯コンロやコッヘルなどは持ってこない。早くキャンプ場に着いた時にも調理のことは考えずに済む。その時間を周囲を散策に向けて、その土地土地の生活感を感じることが楽しみになっている。見知らぬ町のスーパーで、今日の特売品は‥などと物色しているとその町の住人になったような気分になる。その日もイオングループのスーパーで「石臼挽き冷しとろろそば」「一口いなり寿司」「温泉たまご」「小岩井純粋ぶどうジュース」を買うのであった。
 国道5号沿線のスーパーで夕食を調達する(グーグルのストリートビューから)

さて、函館から大沼公園までの道路は自動車専用道路が整備されている。しかし原付は通行できないので並行している幹線を走る。ほとんどの車が無料の自動車専用道路を通るため幹線の方は車が少なく、まっすぐな道をのんびりした気分でしばらく走った。また、その幹線は遠くに函館市街を見下ろす位置にあるため、北海道を走っているという実感が出てきた。道路沿いの木立が密集してきた頃に大沼公園の道路標識も見えてきた。国道5号を右折すると木立の間から傾きかけた日の光を反射ている湖面が見えた。その向こうには駒ヶ岳の勇姿も見える。
 大沼公園を周回する道路 (翌朝の朝に撮影)


東大沼キャンプ場の入口 (グーグルのストリートビューから)
 細長い湖に沿った道路を約10キロメートル進むと今日のキャンプ地の東大沼野営場が現れた。湖畔のキャンプ場は、幹周りが熟年おばさんのウエストぐらい?の樹木が適度に繁って居心地が良さそうなところであった。見渡すとテントが10張りぐらい、日の入り前の淡い黄金色の光が、木立の地面をまだら模様にしている。
テントを張り終えて荷物を収めるまでの20分間に光の濃さも増し、向こうの山に日が沈もうとしている。水場とトイレの場所を確かめ、駐車場の片隅に置いたカブにフライシートを被せる。能代市から大沼まで196キロメートル走行したカブに労いの言葉をかけたくなる。
駐車場には60代後半と思しき夫婦がワゴン車をキャンピングカーに仕立て、側に置いた折りたたみテーブルで夕食の準備をしている。そこに同じようなワゴン車から男が歩いてきて話しかける。男は70代ぐらい半分白髪の長髪を後ろで束ね、ひげを伸ばした様相は旅慣れた感じがする。そこでの会話、女性「今回初めて1週間の旅行をしたが、ゴミが溜まってねー、車にいっぱい詰まっている、まるでゴミを運んでいるようだ」旅慣れた男は「ギュッと潰して、コンビニのゴミ箱に置いてくると良いのに。缶ジュースでも買って‥俺はいつもそうやっている」居心地が良いのだろう、駐車場には連泊するキャンピングカーもあるようだ。そこで同じような旅行者同士が知り合いになるのだろう。
日も落ちてキュンプ場内が陰り始めた頃、私のテントから十数メートル離れたところに50代ぐらいの男性が四畳半ぐらいのハウス型テントを組み立て始めた。1人だけだが家族が後でくるのだろうか。折りたたみ椅子とテーブルもセットし終わって、辺りは薄暗くなったがまだ1人、椅子にくつろいでいる。翌朝、彼は1人でテントをたたんで去って行った。キャンプ用具の試用だったのか、1人で至福のときを過ごしに来たのか、旅行中の様子ではなかった。
また、それとは逆方向の十数メートル離れたところには一回り大きい柄模様のテントが張ってある。ここは中国語を話す男女が2、3人出入りしていた。夜中に大きなイビキが聞こえたテントだ。


日の入り前の淡い黄金色の光が、木立の地面をまだら模様にしている
さて、最後まで明るかった湖面も暗くなったころ、テントに入ってLEDライトの下で夕食を食べる。テントの中での食事は美味しい。それはテントという凝縮された空間に合わせて食事の味も凝縮するのかもしれない。食事の後、目をしばたたかせながらパソコンに今日のブログを打つ。21時過ぎ寝袋に入り、明日のコースなどを考えながら眠りについた。この続きは(その4)で‥

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五感で走った北海道(その2)

7月10日、ツーリング2日目、能代市内の米代川河口近くの公園で朝を迎えた。風力発電の高さ120メートルを超える巨大風車の下にテントを張ったが、寝苦しいこともなく熟睡し、スッキリ目覚めた。5時30分頃になるとウォーキングの人や犬を散歩する人が数名現れた。公園は海岸の堤防とつながっていて、堤防の上は遊歩道になっている。潮風を受けて朝の光を反射した海面を見ながらのウォーキングはなんと爽快なことか。これを日課にしている人が羨ましい。
さて私の方は、北海道に渡るフュリーの予約がネットでできなかったので、とりあえず青森港フェリー乗船窓口に急ぐことにする。テントを収納し、公園のトイレ脇の水道で顔を洗って6時15分に出発する。国道7号を北秋田市、大館市を通って青森県との境、矢立峠を越える。このあたりは山が深く昔は阿仁マタギのホームグランドだったのだろう。しかし今は国道も整備され、幹線を走るかぎりマタギと結びつくような集落は見当たらない。峠をトップギヤーで越えて青森県に入った。しばらく走ると遠くに岩木山が見えてきた。津軽富士と呼ばれるように単独峰で裾野がきれいに広がっている。つい「♫〜きっと帰ってくるんだと〜♫お岩木山で手を振れば‥」などと口ずさみたくなる。そんな弘前市を過ぎて青森市内に入った。

 弘前市の郊外から望む岩木山
青森市街に入る手前で国道を北に折れ、10時30分にフェリーターミナルについた。早速、乗船窓口に行き、受付のメガネをかけた小太りの男性に「予約はしていないのですが‥」恐る恐るたずねると「次の便でいいですか。11時35分発になります。」「え! お願いします♪」1時間後に出港、ラッキーだ。時刻表を見ると津軽海峡フェリーと青函フェリーが交互に運行しているが、次の出港は青函フェリー「はやぶさ」だ。大人1人2000円、原付バイク2000円を支払い、乗船待機場所にカブを移動する。待機場所には、バイクが7〜8台、乗用車が20台ぐらい、トラック数台が乗船指示を待っている。待っている間、40歳ぐらいの男性が話しかけてきた「これから北海道を回るんですか? いいですねー」これをきっかけに彼と乗船まで話をした。彼は道内に住んでいるが、中古車を買って家に戻るところだという。本州の方が車種が多いので‥と言いながらジムニーのボンネットを手で撫でていた。彼とは北海道の交通事情を話した。「道内の速度取り締まり。以前は制限速度を20キロ以上オーバーしなければ捕まえなかったが、最近は10キロと少しでも捕まえるようになった‥」「自分はカブなのでそんなにスピードを出さないが、気をつけなければ。」そんな話をした。

 青森フェリー埠頭 津軽海峡フェリーと青函フェリーが出ている

 乗船待機場所。バイクは最初に乗船するのでこの後先頭に移動した。
フェリーは定刻の午前11時35分に出発した。函館港には約4時間後の午後3時25分に着く。航行中は、2等カーペット席では横になり北海道に思いを巡らし、また、津軽海峡の潮風にあたって右舷から下北半島を左舷からは津軽半島を眺めて過ごす。またここで「♫〜ごらんあれが竜飛岬北のはずれと‥♫」という歌詞が頭の中に夏の入道雲のように膨らんできた。一応言っておきますが、私は音痴でカラオケを強要されると冷や汗がでるタイプです。でもその時々の心情にあった歌を聴くのは好きです。北海道ツーリング中は土地土地でいろんな歌の歌詞が浮かび、口をパクパクしている自分がいた。

 二等客室カーペットルーム この日は広い部屋に数名が雑魚寝
一方、右舷から眺める下北半島は、仏ヶ浦の切り立った断崖が白く見える。そこは観光船も出ている観光名所だが、ここフェリーから眺める仏ヶ浦は何か暗いイメージがある。それは、昔見た映画「飢餓海峡」が影響している。昭和40年制作、内田吐夢監督のこの映画は、のちの刑事ドラマにも大きな影響を与えた不朽の名作。出演・三國連太郎、伴淳三郎、左幸子、高倉健ほか。物語は、北海道の小さな町で起こった強盗殺人事件で始まる。犯人3名は質屋から奪った現金を手に本州への逃亡を図る。折しも津軽海峡では台風で青函連絡船「洞爺丸」が転覆し1,155名もの犠牲者を出す(ここは実話)。その混乱に乗じて犯人3人は奪った船で津軽海峡を渡る。しかし、下北半島の仏ヶ浦に着いたのは1人だけであった。洞爺丸の犠牲者の中に2人の身元不明の死体があった。事件の捜査線に浮かんだ3人の男を追う刑事(伴淳三郎)、しかし下北からの行方がつかめない。年月が過ぎ、犯人の1人は事業に成功し篤志家となっている。そして新たな事件が発生する。すでに定年になった元刑事に協力の依頼が来る‥少々長くなったが、この映画で津軽海峡と下北半島は重要な背景になっていたのを思い出した。旅をしていて映画やドラマの舞台になった場所に出会うと映画の一場面が現実のように浮かんで来る。このツーリングでは他にもあった。内容は後で述べるが富良野の麓郷だ。
名作「飢餓海峡」で津軽海峡、下北半島、仏ヶ浦は重要な背景になっていた


乗船待合所で会話した彼とカップラーメン自販機の前で再び会い、お互いニヤニヤ
船上での4時間は早く過ぎ函館山が見えてきた。いよいよ北海道に上陸だ。

 函館山が見えてきた。いよいよ北海道上陸だ。
さて、今日のキャンプ地を決めて明るいうちに設営したい。
この続きは(その3)で‥

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