「五感で走った北海道」がアウトライダー誌に!

バイクツーリングの人気雑誌「Out Rider」の最新号vol.88に「五感で走った北海道」が掲載されました。同雑誌に掲載されるのは昨年の「四国八十八ヶ所・お遍路の旅」に続いて2度目です。ツーリングは旅先での一期一会。どんな感動も過ぎ去ってしまうものです。少しでも写真や言葉に残すことで過去として区切りがつき、新たな旅への想いが生まれます。

2017.12.22発売のアウトライダー誌

読者のツーリングレーポートにカブ太郎シニアが掲載

まもなく2017年も終わり、新たな年を迎えます。私は現在、地図を見ながら次のツーリングを計画しています。
みなさま、よいお年をお迎えください。
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五感で走った北海道(その12・最終回)

平成29年7月18日、ツーリング10日目。小樽駅前のライダーハウスで朝を迎えた。未明に鳥の啼き声を寝袋の中で半分眠りながら聞いた。カラスと違う啼き声だ。街の中で何の鳥だろう? 甲高く、どこか尖ったように聞こえるのはカモメかウミネコだろうか?海が近いためそれも不思議ではないだろうと一人で納得した。そして、今日の朝はゆっくりしようと寝返りをうった。それというのも今日で北海道の旅を終えて、小樽港を17時に出航するフェリーに乗る。それまで一日のんびりしようと決めたからだった。乗船チケットは、昨日の夕方、小樽に着いてすぐにフェリーターミナルに寄って買ってある。順調にいくと、明日の午後には自宅に帰ることができるだろう。今回のツーリングは、いつものように詳細なスケジュールは持たず、その日その日の気の向くままに、おおよそ二週間ぐらいで帰ると家人に伝えていた。そこからするとまだ北海道を回ることもできたのだが、先日、家から電話があり、それで小樽港からの出航を決めたのだった。それは、数ヶ月前に公共放送局の番組モニターに応募していたものが、ツーリング中に採用の通知が来て、委嘱の手続き期限が迫っているとの連絡だった。小樽から南下する考えもあったが、以前から寄りたいと思っていた所は全て回ったので、今回はここが潮時と思った。
さて、今日の午前中は、小樽から積丹半島まで走って再び戻る半日コース。午後は、フェリー乗船まで小樽運河を散策することにした。ライダーハウスでの同室の二人を見送った後、午前9時に出発した。小樽から余市までは国道5号を、そこから道道229号を積丹町まで走った。この間の道路は、変化にとんだ海岸線を縫うように走り、海岸にせり出している岩山を貫くトンネルが数多くある。トンネル内での原付バイクは緊張を強いられるが、そこを過ぎると新たな景色が現れる。日本海の荒波で浸食された急峻な岩場や小さな漁港をいくつか通り過ぎた。岩場の海岸で目につく蛍光色ののぼり旗には「密漁監視中」の文字、アワビやウニが採れるらしい。

積丹半島をめぐる道は侵食された岩場とトンネルが続く
小樽に戻る時間を考えて、「ここまで!」と決めたのが積丹町の小さな漁港。イカ釣り船が係留されている波止場で一休み。そこに丁度、小さな漁船が入って来た。船員は3名。波止場で着く早々に、60代くらいの年配者の指示で、20歳代の若者が素早く胴長靴をはき、機敏に動き回っている。親子なのか雇われた人か判断つかないが、そのキビキビした動きは見ていて気持ち良い。岸壁にはイカ釣り船も係留されているがそこには人はいない。集魚灯の電球が祭りの提灯のように一列に吊るされている。深夜の漁なので人も船も休んでいるのだろう。そんな小さな港に身を置いていると、自分が旅人であることを実感する。

 積丹町の小さな漁港。今回の最終地となった。
さて、時刻も昼ごろになり、同じ道を小樽に向かった。またトンネルと急峻な海岸が断続的に続く。それが市街地の様相に変わると余市の街に入る。ウイスキーと林檎で有名だが、林檎畑は見当たらない。きっと海岸から遠く離れた丘陵地にでもあるのだろう。その余市を過ぎると間もなく小樽市街に入った。フェリーの乗船まで十分に時間があったので、小樽運河周辺を散策することにした。北海道有数の観光地とあって、運河沿いの歩道は観光客でいっぱい。それもほとんどが外国人。実はこの日、小樽港に豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号が寄港していたのだった。1,337部屋もある世界14番目の大きさ。この乗客が観光していたものだろう。この客船は、日本の主な港や沖縄、台湾、韓国を中心にクルージングしている。費用も昔から比べるとだいぶ下がっているようだ…と言ってもスーパーカブにテントを積んで旅する私に、豪華クルージングの機会は縁遠い。せめて長距離フェリーでクルージングの気分に浸ろうかと、早めにフェリー埠頭に向かった。

 外国人観光客で賑わう小樽運河
午後4時にバイクの乗船が始まった。傾斜のあるタラップを登って船内に入る。船員の指示で所定の場所にカブを停める。駐車デッキの側面に並んだバイクは20〜30台、そのほとんどが大型バイクで、原付・スーパーカブは見当たらない。夏休み前のこの時期は、ライダーの多くは50歳代か60歳代。荷物を持って客室デッキに上がり、指定された部屋を探す。部屋といっても安価な「ツーリストA」なので、2段ベッドの1段をボックスにしてカーテンがあるだけ。でも、清潔で昨日のライダーハウスより落ち着ける。船内を眺めている間に出港の17時になった。フェリーはゆっくりと岸壁を離れ、次第に速度を上げていく。曇り空の下に小樽港が遠ざかっていく。全長290メートルの豪華客船は停泊したまま、街並みとともに小さくなっていく。出港から2時間ほど経った19時10分、空一面が暗灰色の雲で覆われた中で、雲が切れた遠い西の空だけがオレンジ色に染まり、陽が沈もうとしていた。

17:00小樽港を出港 明日の9:00には新潟港に着く

新日本海フェリー ツーリストA

 19:10 フェリーから望む夕日が見送ってくれた
私の今回のツーリングも終えようとしている。この10日間、荒涼とした原野、開拓村、漁村、風光明媚な観光地、自分が住んでいる町にどこか似ている活気に乏しい町…これらの場所を走り回ってきた。そこに求めていたものは、日常では得られない冒険や非日常だった。でも結果はどうだろうか? 日本国内どこにいってもコンビニがあり、ガソリンスタンドがあり、道の駅のお土産も似たような物…日本国内ではもう、冒険や非日常を求めても無理なのだろうか? その答えは今回の「五感で走った北海道」で見えた気がする。特筆すべきものがない風景、どこにでもあるような集落、個性が見えない街並みでも、気持ちにゆとりを持って走ると、思わぬ発見がある。それが非日常であり、冒険にもつながることを今回のツーリングで得た。その大きな役割をしたのがスーパーカブだった。そのスピードはジョギングをしているような感覚で、道沿いのチョットした発見でもストレスなく寄り道することができた。そこにツーリング(旅)の広がりと深まりが生まれてきた。ジョギング感覚で走ると風景もゆっくり流れ、視覚も聴覚も、臭覚でさえ、それまで捉えられなかったものが見えてくる。まさに五感に刺激を受けながらの旅だった。
心に残った光景4コマ

富良野

富良野 へそ歓楽街

美瑛町

サロベツ原野
 この10日間は、心身とても快調だった。テントでの野宿も続いたが、家にいる時より体調は良かったほど。明日の今頃は自宅で、いつもの生活に戻っていることだろう。それでは、次回の旅まで、しばらくさようなら。

五感で走った北海道のコース

(日程)
7月 9日 自宅〜秋田県能代市内 キャンプ場
7月10日 能代市〜青森港〜函館港〜大沼公園キャンプ
7月11日 大沼公園〜室蘭〜苫小牧〜安平町鹿公園キャンプ場
7月12日 安平町〜留萌〜苫前夕陽ヶ丘キャンプ場
7月13日 苫前〜稚内〜宗谷岬〜枝幸町はまなす交流広場
7月14日 枝幸町〜サロマ湖〜網走〜斜里町クリオネキャンプ場
7月15日 斜里町〜知床峠〜標津〜中標津〜足寄里見ヶ丘公園
7月16日 足寄〜狩勝峠〜富良野(駅前旅館泊り)
7月17日 富良野〜美瑛〜旭川〜滝川〜小樽(ライダーハウス泊り)
7月18日 小樽〜積丹半島〜小樽港(新日本海フェリー泊り)
7月19日 新潟港〜山形県/自宅
(走行距離)
2,482km
(費用)
ガソリン代 4,561円(35ℓ 約70km/ℓ)
フェリー代 19,280円
宿泊代 7,000円(旅館1、ライダーハウス1、キャンブ場2)
食事その他 22,159円
合計 53,000円

※ 次回ツーリング予告 !  2018年春、九州方面
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五感で走った北海道(その11)

平成29年7月17日、ツーリング9日目。久々に畳の上で寝た昨夜、「へそ」の夢を見ることもなく富良野駅前の旅館で朝を迎えた。今日の予定は美瑛を通って旭川まで北上した後、小樽を目指す。空一面を灰色の雲が覆っている。雨が降っても降らなくとも、カブ乗りを楽しむぞと自分に言って午前8時に旅館を出発した。7月の富良野はラベンダー畑が定番ということで、富良野市から上富良野町に向かう途中見かけた「ラベンダーの森」の看板にしたがって国道から脇道に入った。「ハイランドふらの」ラベンダーの森に着いたのは午前9時、早い時間なのかラベンダー畑には観光客は数人だけ。森を背景に薄紫の花を一面に広がっていた。しかし、鼻を近づけても香りは全くしない、朝露のせいだろうか。原付に乗った親父が一人、ラベンダー畑を散策するのは気恥ずかしい。写真を撮ってそそくさとお花畑を後にした。

「ハイランドふらの」ラベンダーの森 
今日は三連休の最終日、富良野の観光地はどこも混雑するに違いないと考え、国道からそれて田舎道を周囲の景色を眺めながらのんびり走った。観光地から外れると、開拓地だった頃の趣を感じるものに出会ったりする。美瑛町で見かけた小屋がまさにそれだった。その小屋は農機具などを入れておく普通の小屋だが、周囲に張ってあるトタンの色を見た瞬間、思わずカブを止めた。小屋全体が何とも不思議な色彩なのだ。茶褐色、うぐいす色、灰色が混然としたパッチワークのようでもある。風雪に耐えきれず剥がれたペンキもあれば、ベースのなまこトタン板にへばりついているのもある。何十年もかけて重ね塗りしたペンキが思い思いに剥がれたのだろう。人間と自然の力が融合したような小屋の顔がそこにあった。「そうだ小屋にも顔があるのだ!」こんな出会いがあるからカブの旅は面白い。

小屋にも顔がある。この表情ただ者でない。 
さて、美瑛町は、丘陵地に広がる小麦畑や野菜の景観が美しいところ。印象に残る風景が多くのコマーシャルに使われている。40歳代以上でないとリアルタイムで見ていないだろうが「ケン&メリーの木」、「マイルドセブンの丘」などが点在している。

美瑛の丘はどこも絵になる。晴れていたらもっと良かったのかも…

 美瑛麦秋
今日は、空一面の曇でドライブ日和ではないが、三連休最後の日、どこの観光スポットも車やバイクが多い。私もその一人、マイルドセブンの丘で写真を撮る。丘の上に立つカラマツの木立は清涼感を感じさせる光景であり、人気のカメラスポットも頷ける。もともとそこは防風林で、強風で畑の表土が飛ばされるのを防ぐために、開墾者が植栽したもの。それが観光スポットとして多くの人が訪れるとは、当時の人は考えもしなかったろう。観光客がレンズを向けている方向と逆の場所には、ひっそりと民家が見える。観光地とは無縁の空間がそこにあった。

マイルとセブンの丘

マイルドセブンの丘に続く民家(グーグルマップから)
 さて、美瑛町から旭川を経て、滝川、岩見沢を通過し小樽を目指す。天気も曇天から青空も徐々に顔を出してきた。沿道には「ゆでトウモロコシ」ののぼり旗も目につく。前方に見える札幌市街を迂回して札幌・小樽間の国道5号を西に進む。そこは片側3車線の主要幹線で通行量も多い。カブは時速60キロで快調に車道左側を快調に走るが、大型トラックはどんどん追い越していく。荷物を積んだカブは風圧で煽られそうになるので緊張は解けない。スキージャンプで知られた手稲山の裾野を越えると石狩湾が見えてきた。もうすぐ小樽市内だ。

国道5号を通って小樽市内に入る(グーグルマップから)
午後3時を過ぎたが、まだ今日の宿泊地が決まっていない。マップで見ると小樽市近郊にはキャンプ地が数カ所あるが、小樽駅の近くにある「ライダーハウス小樽」が目を引いた。一度はライダーハウスなるものに泊まってみたくなった。どんな所なのか、何事も体験である、まずはどんな建物なのか見てみようと地図を頼りに小樽駅前に行った。この辺かと見当をつけて探したが見つからない。そこで道路脇にカブを停めて歩いて探したが、それらしい看板は見つからない。そこで、電話をかけてみた。すぐに男性が出て「今どこ?」「駅近くのアーケードにいます」「それじゃ、すぐ近くだよ。長崎屋のビル脇のガソリンスタンドの隣。泊まり大丈夫ですよ。」「その辺は通ったんですが、看板でてますか?」「入口にライダーハウスって書いてあるから、目立たないけど…」そんな電話でのやり取りがあって、ようやく見つけた。想像していた建物とだいぶ違う。そこは、廃業してしばらく経つ飲食店が入っていた3階建ての雑居ビルといった趣の建物だった。玄関で訪いを告げると、50歳か60歳代のやせ気味の男性が二階から狭い階段を降りてきた。電話の男性だった。宿泊を申し込むとすぐに部屋に案内してくれた。階段を上っていくと、二階の踊り場から部屋の中が見えた。ソファーとテーブルが置いてあるが雑然としている。壁の棚には酒びんが並んでいる。後で同室の客から聞いたところ、対応した男性はここのオーナーで、この雑然とした部屋で客とオーナーが毎夜酒を飲みながら雑談するという。オーナーはそのままソファーで寝るらしい。毛布も見える。そのオーナーが案内した部屋は三階にあった。フローリングで20畳ぐらいの部屋にはマットと枕があるだけ。毛布等もあるのだろうが、宿泊者のほとんどがキャンパーなので自分の寝袋を使うのだろう。ひととおり案内を済ませるとオーナーは、「1500円頂きます」と言ったので、その場で渡した。領収証や宿帳らしきものはなく、こちらからも口にしなかった。(注:たまたまオーナーは忘れたのだ…と思う)その部屋には先客が一人いるとのことだが、荷物だけ置いて出かけているようだ。壁際のハンガーにライダースーツが掛けてある。

 ライダーハウスとは思えない外観(グーグルマップから)

ライダーハウスの玄関

この日は3人が同室だった。一泊1500円
 さて、今日の寝ぐらも決まり、荷物を解いてカブを一階半地下の駐車場に置くと、時刻は午後5時を過ぎた。そこで夕刻の小樽駅周辺を散策した。小樽市街は山を背にした港町なので傾斜が多い。駅前から港へ向かう通りに目を向けると小樽運河の一角が見えた。さらに向こうには空との境界がはっきりしない海が見えた。ぶらぶらと散策を楽しんだ後、アーケード内の食堂で地元の客に溶け込んで夕食を済ませると、もう8時になっていた。寝ぐらに戻ると客が一人増えていた。今日のフローリング部屋は3人相部屋らしい。同室の人とはバイクや装備の話、雑談部屋に置いてある自由ノートから日本一周中の客が多いことなどを話題にした。そして午後9時には各々床についた。翌朝に分かったことだが、駐車場のバイクの数からその日は自転車も含めて、少なくとも6、7人が泊まったらしい。若者は別の部屋で寝たらしく、開け放ったオーナーの部屋を覗くと、毛布を被ってソファーで寝ているオーナーとテーブルの上の酒ビン数本が見えた。若者たちとの懇談の跡だろう。このようにツーリング9日目が過ぎたのであった。本日の走行263キロメートル。

さて、いよいよ次回(その12)が最終回となります。このシリーズどのように完結するのでしょうか。
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五感で走った北海道(その10)

平成29年7月16日、ツーリング8日目。足寄町の里見ヶ丘公園で朝を迎えた。朝7時にテントを撤収しようとしたところ、あれ! テントを張っているロープが切れている! 劣化だろうか? あれ! あれ! あれ! テントの4方向全部のロープが切れている。劣化でない。切られたのだ! 誰が? なぜ? 切り口をよく見ると毛羽立っている。ナイフで切ったものではない。犯人は公園を寝ぐらにするカラスであった。真夜中にテント(フライシート)の表面を何かが滑るような音がしたのは、カラスの羽音だったのだ。そして、テント収納袋が5メートル先にあったのも風でなく、カラスのイタズラだったのだ。夜中に起きた時は早く寝袋にもぐりこみたかったので、風で飛んだのだろうと自分を納得させたが、実は、風が吹いた様子はなかったのだ。朝、公園内を見ると、テントから20メートルぐらい離れた池の周囲に数羽のカラスがいる。カラスは好奇心が強く、いたずら好きである。見慣れぬテントを見て、4方向に伸びているロープを鋭い嘴でついばんだのだ。ロープの切り口が何よりの証拠である。

カラスに切られたロープ
カラスについては、今回こんなこともあった。北海道ツーリング2日目の苫小牧で目撃した光景。家畜飼料を運搬する専用車の荷台には円筒形のコンベアが付いているが、走っているその専用車の荷台に飛び降りて、餌を探しているのである。映画マッドマックスでは、走っているタンクローリーに人間が飛び乗って燃料を奪ったが、北海道では走っている飼料運搬車にカラスが飛び乗るのだった。

公園を寝ぐらにする三羽ガラス
 さて、切れたロープは後で修繕するとして、荷物を積み込み午前8時に里見ヶ丘公園を出発した。今日は、前から行こうと決めていた富良野に向かう。足寄町から上士幌町を通り、北海道の分水嶺でもある狩勝峠を越えて南富良野町に入った。そこから北上すると富良野市だが、寄り道をして麓郷の森に向かった。そこは、テレビドラマ「北の国から」の舞台になった場所。今から35年も前のドラマだが、何度も再放送されているので知っている人も多いだろう。そこに行くと、純や蛍、黒板五郎に会えるとは思っていないが、舞台となった麓郷はどんな所なのか、そして、今でも残っているという当時の丸太小屋を一目見たかった。幹線道路から外れて農村風景の中を進んで行くと、旭岳や十勝岳の山並みを望む開拓農地と山裾の森林地帯が交わったところに麓郷の森があった。そこは観光地になっており、ドラマで黒板五郎が自分で建てた「丸太の家」「石で作った家」「廃品で作った家」がそれぞれ数キロ離れて建っていた。入場料各500円で見学できるが、どこも観光客がいて人気の高さがうかがえる。テレビ放映時には生まれていなかった若者も車で多く見学に来るのだろう、それぞれ近くには土産物店やカフェ等もある。そこから少し離れると、農協集荷場やそば屋がある通りがあって、その先は農地だ。このどこにでもあるような所であの純や蛍が成長したのだ‥と虚実混同し錯覚に陥ってしまいそうだ。しかし見方を変えると、どこにでもあるような所にもそれぞれのドラマがあるということかもしれない。
トウキビ畑の先が麓郷の森、純たちが初めて住んだ家がある(グーグルマップから)

「北の国から」は1981年から放映された人気シリーズ

麓郷の森には放送から35年経った今でも訪れる人が多い

麓郷の森には当時の家が残っている

丸太小屋が火事になった後、五郎が作った石の家
この日、北海道は大雨注意報が発令されており、麓郷の森から富良野市街に向かう途中は土砂降りの雨だった。所どころ側溝があふれ道路が川のようになっているところもあった。麓郷から約20キロメートル走って富良野市街に入っても雨は降り続いた。時刻は午後3時になるが、今日のキャンプは諦めて旅館かビジネスホテルに泊まることとする。まず、富良野駅前周辺ならあるだろうと、カブで駅周辺を一回りすると、商人宿風の旅館があった。濡れた雨具のまま、玄関で訪いを告げると、赤ん坊を抱いた男性が奥から出てきて「あいにく、今日はいっぱいで‥すみません。鈴木旅館さんなら空いていると思います」と教えてくれた。それではということで、少し離れた鈴木旅館を訪ねてみる。「すずき旅館」という看板が出ている6階建てのビジネスホテルのような旅館だった。駅近くという立地のためビジネスマンか個人旅行者が利用する旅館と思われる。フロントで訪いを入れると70代の女性(老夫婦で営んでいたことを後で知った)が出て、素泊まりでよければ二部屋空いているとのこと。大雨の中を走って来たので、すぐにでも落ち着きたかった。早速、チェックインする。カブの荷物を運ぶため、部屋まで3回往復する。カブにご苦労だったと心で呼びかけ、防水シートを被せ駐車場で休ませた。

今回のツーリングで初めて畳の上で寝た富良野駅近くの「すずき旅館」
部屋は畳部屋、1週間ぶりに畳の上で寝られると思うと早く横になりたいが、夕食(適当な食堂が見つからずスーパーで買った弁当・惣菜を部屋で食べた)までの一時、見知らぬ街を散策するのも旅の楽しみの一つ。傘とカメラを持って、珍しい店はないか? 変わった路地はないか? 周囲を眺めながら歩いていると‥ありました。電柱に大きな看板「へそ歓楽街」。富良野市は北海道の中心に位置することから「へそ」の町として、観光PRしていたのを思い出した。さっそく、へそを覗きに路地に足を踏み出す。と、そこには昭和の飲み屋が肩を寄せ合った路地があった。丁度雨も止んで、水溜りができた幅3メートルぐらいの狭い路地の両側に、「さくら」「マドンナ」「ラベンター」などスナック等では王道の名前が競っている。今はまだ早い時刻なのでカラオケやざわめきも聞こえないが、あと数時間もすると看板の輝きと共に路地も輝くのだろう。私はそうゆう店にはほとんど行かないが、昭和の雰囲気を残す路地はめっきり少なくなった。私の住む街にも「パナマ通り」というのがあったが今は見る影もない。2つの通りをつないでいた路地で、太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河をもじったものらしい。二人並んで通るのがやっとの狭い路地にスナックが軒を並べていた。このへそ歓楽街は、まだ元気な様子。今でも中畑木材の地井武男と田中邦衛が肩を組んで、目の前の児島みゆきが勤めるスナックから出て来そうだ。この雰囲気をカメラに残そうとモノトーン調に赤を加えて撮影した。

この看板には誰でも興味をそそられる

 へそ歓楽街は昭和を感じさせる路地にあった

昭和ノスタルジーを感じてもらえるだろうか? 

 酒に酔った五郎と中畑のおじさんに会えそうな気がした
そんな昭和ノスタルジーに浸って旅館に戻った。

さて、今日はゆっくり風呂に入って、畳の上で眠るぞー! 「へそ」の夢でも見そうだ(この続きはその11に続く)
本日の走行263キロメートル
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五感で走った北海道(その9)

斜里町のクリオネキャンプ場を7時30分に出発した。農地の向こうに斜里岳を望みながら知床半島の北側の海岸線を進む。海岸線をなぞるように国道334号を走ると、オホーツク海の感触が鼻腔に気持ち良い。海からの匂いだが、漁村の匂いと違って透明感を感じる匂いだ。半島の中程まで来たところで知床半島を横断する山岳道路に入る。半島の北側の海岸と南側の海岸をつなぐ知床横断道路だ。快晴に恵まれ、峠の展望台からは、羅臼岳と海を隔てて国後島の山並みが見えた。

名峰「斜里岳」昨日会った隣のテントの男性は、前日に山頂に登ったという。

 知床半島の北側を走る国道334号。

知床半島には多くの滝があって、その1つオシンコシンの滝

知床横断道路の最高地点となる知床峠

知床半島の最高峰 羅臼岳

知床峠から見た北方領土の1つ国後島
 峠を下ると海岸沿いの町、羅臼町に入る。ここは漁港でもあり、海産物などの土産店は観光客で賑わっている。漁港や集落がほとんど無い半島の北側と南側では様相が大きく違う。海岸沿いを走ると海の匂いも違って感じる。羅臼町は漁港の匂いがした。その羅臼町から1時間ほど走って半島のつけ根にあたる標津町に入った。今回のツーリングでは、函館からここ標津町まで北海道の海岸線を約半分走って来たが、ここからは海から離れて内陸部に入ることにした。標津から中標津に入ったのは正午を過ぎた頃、気温は30度を超えていた。たまらず生協マーケットのベンチでアイスクリームを食べた。同じベンチに座ってタバコを吸っていた生協の店員に、夏はいつもこんなに暑いのかと聞いた。3、4年前にも暑かった年があったが、それ以来だと言っていた。中標津から次に向かったのは開陽台。小高い山から360度の地平線が見えるというツーリストのお薦めポイント。その途中、牧草地や森林の中をどこまでも続く直線道路を通る。時折、大型トラックや大型バイクが追い越していく。カブは泰然自若。時速60キロで余裕あるエンジン音で快調に走った。

 開陽台へ向かう道

開陽台からは360度にわたって地平線が見渡せる
 中標津から西に向かって、弟子屈町、阿寒湖に入る。今日は3連休の初日とあって、阿寒湖は観光バスやマイカーで混んでいる。一目、阿寒湖を見ようと、土産物店の並ぶメインストリートを避けて、ひっそりとした原生林の中の散歩コースを湖畔まで歩いた。水面は午後の日差しを受けてキラキラと輝いていた。時刻は午後3時を過ぎた。今日のキャンプ地を決めなければならない。阿寒湖は周囲を山々に囲まれた標高420メートルにあるが、そこから国道241号を下った最初の町が足寄町だ。ツーリングマップを見ると里見ヶ丘公園にキャンプ場のマークがある。阿寒湖からは約60キロ、1時間余りで行ける足寄町を今日のキャンプ地に決めた。

賑やかさを避けて原生林の中から阿寒湖を望む
道の両側の森林がやがて農地に変わり、家並みが多くなって商店や事業所などが増えてきたところで足寄町に着いた。人口7000人の町。松山千春の生まれ故郷。繁華街の薬局の前で歩道を掃除していた男性がいたので、里見ヶ丘公園の場所を聞くと、3キロメートルぐらい先までの道順を教えてもらった。公園は大きく、野球場や文化施設も併設していた。キャンプ場というより、キャンプも可能な総合公園と言った感じだった。林のそばの芝生にテントを張った時は午後5時、夕食には十分に時間はある。

足寄町の里見ヶ丘公園(グーグルマップから)

 里見ヶ丘公園の一角にテントを設営
マップを見ると足寄温泉が近くにあるらしい。どんな所かと出かけて見た。カブで10分ほどで着いたが、ここか⁉︎ と思った。簡素な平屋の正面に引戸が2つあって、男・女と大きく書いてある。ほとんど地元の人だけが利用するような、よそ者には敷居が高そうな雰囲気がある。私は、そんな所にワクワク、ドキドキ感で入るのが好きだ。駐車場には車が1、2台だけ。アルミの引戸を開けて入ると、鍵のない下駄箱があって、その先に番台がある。自動販売機で350円の入浴券を買って番台の女性に渡した。年齢はどう見ても70代後半だろうが、黒いレースの服か下着か判別し難いものを着ている。真夏だからだろうが‥ついつい目線がいってしまう。脱衣場には入浴を終えて涼んでいる男性が一人いる。はて? ウエストポーチを入れるロッカーや貴重品入れが無い。番台の女性に尋ねると、「そこに置いていいよ」と番台の片隅を目線で教えた。財布やカードが入ったウエストポーチなので一瞬躊躇した。でも、しょうがないので「お願いします!」と思いを込めて、少々声高に言った。期待していなかったが預かり証もなかった。タオル一枚を持ち、引戸を開けて浴室に入った。おや! 意外と広い。外観からは想像できない浴槽と洗い場の大きさだ。30人ぐらいは入れそうだ。今は2人だけしか入っていない。2人とも洗い場で体を洗っている。大きな浴槽に私一人だけ入った。湯加減もちょうど良い。源泉掛け流しの天然温泉。ふと、洗い場を見ると2人のうちの1人は、背中に彫り物をしていた。両側の肩甲骨から腕にかけて何かの花らしい彫り物。いまどき珍しい。温泉地や公衆浴場では刺青のある方の入浴を禁ずる貼紙を見かけるが、この浴場にはなかった。男性は6、70代と思われ、2人連れで来ていた。風呂から上がって脱衣場で2人を拝見したが、2人ともその道の人のようなオーラは全く無い。仕事帰りに一風呂浴びたお父さんと言った感じだ。私から何か言葉をかけたくなった。「いい彫り物ですね」だめだ。若気の至りで今は、好きな温泉巡りができないと後悔しているかもしれない。「いい風呂ですね」が無難かもしれないなどと迷っているうちに、2人はアルトに乗って帰ってしまった。できれば刺青のことを聞きたかった私は修行の足りなさを感じた。そして、番台からウエストポーチを問題なく受け取って、テントに戻った。

足寄温泉(民営の公衆浴場)

 足寄温泉では「おや⁉︎」「おや⁉︎」「おや⁉︎」の連発
その夜、コンビニで調達した夕食をテントの中で食べた後、寝袋に入った。それは、真夜中の1時か2時頃だった。眠りが浅かった私は、テントの外で風を切るような音がしたのに気付いた。また、テントの表面を何かが滑るような音の様でもあった。風だろうか? テントのファスナーを開けて外を見ると、風は無いようだが、フライシートの下に置いていたテント収納袋が4、5メートル先に飛んでいた。やはり風だろうか。それを取って来て再び眠りについた。その深夜の出来事が何だったか気づき、唖然としたのは翌朝だった。
本日の走行、301キロメートル

 この続きは(その10)で‥
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五感で走った北海道(その8)

平成29年7月14日、ツーリング6日目の続き。
午後4時に斜里町のクリオネキャンプ場に着いた。そこは市街地から2キロメートルほど離れた畑の中、木造二階建の建物(ゲストハウス)を中心にバンガローのような建物が何棟か立っている。施設はライダーハウスとして、バイクや自転車ツーリストを相手の簡易宿泊所になっており、キャンプ場は敷地の一角にあって、ウッドデッキが備わっている。まず、受付のためゲストハウスの一階に行くと、ソファーやテーブルが雑然と置かれている。料金表が張られている玄関脇のカウンターが受付なのだろうが誰もいない。足元の段ボール箱にはカップラーメンやスナック菓子が入っている。値段が貼ってありので宿泊者に販売するのだろう。訪いを入れると奥から二十歳代前半の女性が出て、施設の簡単な説明と申込書を差し出した。それに書き込み、キャンプの料金300円を支払った。キャンプサイトに行くと先客は誰もおらず、一番端のウッドデッキにテントを設営した。ウッドデッキにテントを設営するのは初めての経験だったが、地面の状態に影響されないので、快適に眠れそうだ。

 キャンプ場はライダーハウスの一角にあった(クリオネのホームページから)

 ライダーハウス。一階がバイク置き場で、二階(ロフト)が雑魚寝部屋

テントを張り終えた頃、私より年長の男性が近くのウッドデッキにテントを張り始めた。70歳で大型バイクで一人旅をしているという。昨日は斜里岳に登った後にここのゲストハウスに泊まったが、相部屋で騒がしかったので今日はレンタルテントで寝るとのこと。ライダーハウスの利用者は若者が多いので深夜まで雑談が続く。そのためここでは50歳以上は個室かテント利用を薦めている。施設には温泉もあって、キャンパーも無料で入ることができる。混まないうちに入った方がいいよと1日先輩のキャンパーから教えられ、タオルを下げて牛舎のような作りの棟に入った。浴槽は3人も入るといっぱいの大きさで、自分で浴槽の蓋を取って入る。温泉とはいうものの蛇口二つで温度を調節するようになっているが、ちょうど良い湯加減であった。

 キャンプサイトはウッドデッキがあって快適だった。向こうに斜里岳を望む
湯から出てテントに戻る途中、バーベキュー設備がある東屋で二十歳前後の女性二人が楽しそうに炭火焼をしていたので、「今日は」とあいさつをした。彼女らはニコニコしながら一人が「これ、食べませんか?」と少しカタコトの日本語で話しかけてきた。何だろうと見ると焼き網の上でホッケの開き2、3枚をひっくり返している。煙を上げながら旨そうに焼けている。そして、発泡スチロールのトレーに乗せた半身と箸を差し出してきた。一度は遠慮したが更に勧めるので「それじゃ、少し」と入って、箸でつまんだ。焼きたてのホッケはとても旨かった。どこからの旅行か尋ねると、中国福建省出身の留学生で、本国から来た友人と二人で北海道を鉄道で旅行しているとのこと。友人の方は日本語を話せない。私も中国語で知っている言葉は「シェイシェイ・謝謝」と「プーヤオ・不要」のみ。昔、中国の観光地で土産物売りにしつこくされ、真っ先に「不要、謝謝」を覚えたきり。彼女たちに謝謝と言うと二人は笑みを浮かべてもっと食べろという。私の方からお返しするものは何もない。食料は途中のセイコーマートで買った弁当とレトルトカレーのみである。さらにホッケを2口、3口とつまみ、お礼を言ってテントに戻った。二人は話し足りない様子であったが、二十歳前後の女性である。ましては外人、シニアの私としては話題に窮する。その後、その二人は若者のバイカー何人かと楽しそうに夜遅くまで話していたのが、離れた私のテントにまで聞こえて来た。

 ライダーハウスには宿泊者のバイクが10台ほどあった。これもその一台。
 周囲が薄暗くなった頃からどこからともなく太鼓の音が響いてきた。ドンドンドン・ドドドドドン‥はて? 周囲は農地でまばらに住宅があるだけ、近くではなさそうだ。リズミカルで、心を煽るような太鼓の音は夜の9時ごろまで続いた。太鼓の音が止んだ頃、私も眠りに入ったが、それが何の太鼓か判ったのは翌日だった。観光ポスター「しれとこ斜里ねぷた」を見た時だった。7月22日、23日に開催されるねぷた祭りの練習の音だったのだ。キャンプ場は市街地から2キロメートルも離れているのだが、遮るものがない広い土地の星明かりの中を、太鼓の音だけが響いていたのだった。

 しれとこ斜里ねぷた(斜里町のホームページから)
さて、明日は知床半島を回ってどこまで行けるだろうか。この続きは(その9)で‥
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五感で走った北海道(その7)

平成29年7月14日、ツーリング6日目。ハマナス交流広場キャンプ場で朝を迎えた。
※訂正があります。前回(その6)の最後に掲載した2枚の写真は、文面から夕日の写真になっていますが、正しくは朝焼けの写真でした。撮影データを確認したところ14日の午前4時30分に撮ったものです。午前4時過ぎに漁船の音で目覚め、テントを出たところオホーツク海が燃えるような朝焼けになっていたので、思わずカメラを取り出したのでした。一方、次の写真が13日の午後4時、テント設営時の写真です。

さて、午前7時30分、荷物を積み終えキャンプ場を後にする。国道238号を紋別、サロマ湖に向かって走る。1時間ほど原野と牧草地の単調な道を走ると、枝幸町から雄武町に入った。このあたりは大規模な牧場が目につく。そんな中、一面の牧草地に黄色い花が咲き乱れている牧場があった。思わず足を止めてカメラを出した。さらに走ると今度は、刈り取った牧草をロール状にラッピングした「牧草ロール」が運動会の大玉転がしのようにゴロゴロとある。

牧草地の中に一面の黄色い花。なんの花だったのだろう。

 飼料ロール。山形で見かけるものより一回り大きい。
牧場の風景とオホーツク海を眺めながらのんびりツーリングが続くと思っていたら、甘かった。今回のツーリングで最大の試練が待っていた。横風である。今日、オホーツク海沿岸には強風注意報が出ていたが、風を遮るものがない真っ直ぐな道を走っている時、内陸から海に向かって吹く風が急に強くなった。荷台のボックスの上にマットや寝袋をくくりつけたカブの側面に容赦無く吹きつける。まっすぐ進むには車体を風上に傾け、ハンドルを逆にねじる。かぜの強さにも強弱があるのでヨロヨロ運転になる。時おり抜いていく大型トラックからは危なっかしく見えたに違いない。さらに風が強くなり危険を感じて、とうとうカブを押して歩いた。風を遮るものがあればと前方を見てもそれらしいものはない。強風は1時間ぐらいで弱まったが、心臓がドキドキした1時間であった。

紋別にある道の駅のシンボル
強風と格闘しながら着いた先は、紋別市の郊外にある道の駅オホーツク紋別。カニのハサミの巨大モニュメントがある。ライダー達の撮影ポイントになっているので、私もパチリ。しかし、どうしてカニのハサミだけなのだろうか? 胴体まで作る費用が足りなかったのだろうか。確かに一つの部位だけでカニと判って、インパクトがあるので製作者の狙いは当たったと思う。これは、甲殻類のカニだからモニュメントになるが、サルやヒトの腕だけだったら夢でうなされるに違いない。夢を見るなら広い草原の上を飛んでいる夢がよい。このツーリングではそんな草原をいくつも見たが、一度も夢に出てこない。
さて、強風からもなんとか逃れ、カニのハサミからも襲撃されずにサロマ湖に着いた。海か湖か区別がつかないまま走っていると、国道沿いに直売所を兼ねた海産物工場「北勝水産直売店」があったので休憩を兼ねて立ち寄った。生ホタテをその場で食べられるコーナーがあったので、五感の一つ味覚を味わおうと早速食べた。柔らかく、とろりとした食感で瞬く間に3個が喉を落ちていった。いわゆる「舌が追いかけていく美味さ」である。家への土産もここから送ったが旅行者に好評の店であった。

(株)北勝水産の直売店(ホームページから)

生ホタテ。わさび醤油で食べた。これで200円は安い。
 サロマ湖を過ぎて、能取湖と網走湖に沿って走るとやがて網走市街だ。ここでは、観光の定番「網走監獄」を観光した。ちなみに「網走刑務所」は現役の刑務所なので、それなりの罪を犯さないと入ることができない。一方の「網走監獄」は日本最古の刑務所を移築・修復された博物館である。入館料1080円を払うと誰でも入れる。広い敷地に木造の建屋が何棟か立っている。団体観光客に紛れてガイドの説明を聞きながら館内をめぐる。リアルなマネキンが当時の様子を再現している。木製の格子は、角度によって廊下から牢内は見えるが、逆は見えにくくなっているなど工夫されている。この網走監獄で私が一番興味を持ったのは、博物館の一角にあった現在の牢獄を再現した部屋であった。これは、なかなか見る機会も入る機会もない。まず驚いたのは待遇の良さである。四畳の和室(和室と呼ぶのはどうもおかしい、畳の部屋としよう)にはテレビ、机もある。テレビは午後7時から30分見ることができるという。プライバシーを考慮して一人一部屋の独房になっているという。三度の食事も栄養バランスを考えたもの。これはガイドから聞いたことなので、全ての刑務所がそうなのかは解らないが、モデルルームを見る限り都内の3〜4万円のワンルームアパートより良いかもしれない。さて、1時間ほど見学すると外は炎天下でかなり暑い。監獄の軒先にあった寒暖計を見ると35度を示している。たまらず木陰に入る。観光客もこの暑さにびっくりしている様子で、ソフトクリームの溶ける早さに追いつこうと一生懸命だ。

 網走監獄の入口。リアルなマネキンが迎える。

牢獄が並ぶ棟

 現在の牢の内部
さて、午後3時になるので今日のキャンプ地を決めなくてはならない。明日は知床半島に向かうので、その方面のキャンプ場をマップで探す。知床半島のつけ根にあたる斜里町に「クリオネ」というキャンプ場がある。1時間で行けそうなのでちょうど良い。ここに決めようと猛暑の網走をあとに斜里町に向かった。そして、午後4時には斜里町の町外れにあるクリオネキャンプ場に着いた。

今日の走行距離257キロメートル この続きは(その8)で‥
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五感で走った北海道 (その6)

平成29年7月13日、ツーリング5日目。とままえ夕陽丘キャンプ場で朝を迎えた。晴れてはいるが薄い雲が空全体を覆っている。雨の心配はなさそうだ。隣のテントのハーレーを見送った後、私も8時に出発する。今日の予定は、最北端の宗谷岬まで北上した後、オホーツク海沿岸を南下し、時間をみて最寄りのキャンプ場を探すことにする。苫前からおよそ2時間でサロベツ原野の南端の町天塩町に着いた。ガソリンはまだ余裕あるが、これから行くサロベツ原野の真ん中でガス欠になると怖いので給油する。1.75リットルだけで恐縮しながら238円を支払い、ついでに道を確認する。スタンドの青年は、笑顔で対応してくれた。天塩町から稚内までは海沿いの道道106号を走った。天塩町を過ぎて人家のない荒涼とした原野を走っていると間もなく「オトンルイ風力発電所」現れた。約3㎞にわたって28機の風車が並ぶ光景はとてもシュールに感じる。

道道106号(グーグルマップのストリートビューから)

オトンルイ風力発電所 28機の風車が3キロメートル続く

地平線が見えるサロベツ原野

一方は日本海
 私は、高校の時に実習で写真現像を体験してから写真が好きになり、写真展にも応募していた時期があった。しかし、デジタルカメラが一般化した頃から写真への興味が薄れ、当時月賦で買った高級フィルムカメラも眠ったまま、もう日の目は見ないだろう。多分その理由は、デジタルカメラになってから、撮る費用や撮った結果を見るまでの時間が格段に手軽になったことが逆に、フイルム一枚一枚に込めていた時の熱意を無くしたのだと思う。安月給の身にはシャッター一押し50円以上は大きかった。デジタルカメラのようにお金を気にせず何枚も撮り、すぐに結果を見て気に入ったものだけ残すことができる今とは格段に違う。また、デジタル処理によって本来写真が持つ一期一会のシャッターチャンスも揺らいできたと自分勝手に思ってきた。しかし、今回のツーリングでデジタルカメラの良さを再認識した。これまでデジタル処理を邪道だと思っていたが、撮影の意図がより伝わるのであればそれも手法の一つだと考えが変わった。
ここに、サロベツ原野で出会った一つの光景の3枚の写真がある。1枚目はそのままの色調で撮影し、2枚目は白黒で撮影したもの。私がその場で感じた無常観や非日常感を表すにはもっと何かが欲しいと考えた結果、デジタルカメラに付いている「ソリッドモノカラー」という機能を使い、白黒をベースに赤色系だけを強調することで、運のなかった子鹿を強調してみた。この3枚いかがでしょうか。

そのままの色調

白黒で撮影

 白黒をベースにして赤色系を強調した

さて、サロベツ原野を走っていると何台かのバイクとすれ違ったが、いずれもすれ違いざま左手を上げて挨拶を交わす。中には少し手前から手を振るライダーもいた。このロケーションが生む高揚感を表しているようだ。ちなみに私に手を振ったライダーは女性だった。一瞬の出会いではもったいないなんてネ。
晴天であれば、利尻島や礼文島が見えるところだが灰色の雲が遮っている。ノシャップ岬の漁港に行ったが、魚貝の匂いの中で何隻かの漁船が係留されているだけで、島影は見えなかった。
正午近くに稚内市内に入った。セイコーマートで買ったドリンクで一服した後、約30分後に宗谷岬に着いた。バイク雑誌で何度も見たモニュメントの前で観光客は写真を撮っていた。それは他の観光地と変わりないように思える。でも、モニュメントの近くの歌碑から「♪流氷とけて 春風吹いて ハマナス咲いて カモメも啼いて 遥か沖ゆく 外国船の 煙もうれし 宗谷の岬‥♪(作詞:吉田弘 作曲:船村徹)」とダカーポの歌が途切れることなく聞こえてくる中で、それぞれが最北端の地に来たという思いを記録しているのだろう。土産物店や最北の地を強調した食堂の看板を眺めたあと再び走り始めた。ここからはオホーツク海沿岸の国道238号を南下する。

最北端の地のシンボルと間宮林蔵の像

道路の向かいには食堂があって、この地を目一杯にアッピール

岬から15分ぐらい走った時、海辺で地引網を引いている場面と出会った。小学生と父母たち40人ぐらいが歓声をあげている。網はほぼ引き終わっているが道路からは魚は見えない。一方では炭火でバーベキューの準備をしている。国道沿いには集落は見えなかったが、内陸の方には集落も学校もあって、何日も前から準備していた親子行事が今日なのだろう。そんな地元の日常を眺めて、また走り出す。

地元の小学生が地引網引きをしている光景に出会う
 さて、午後2時にもなったので今日の宿泊地を決めなければと、マップでキャンプ地を探す。この国道238号沿いには、猿払村、浜頓別町、枝幸町といくつかのキャンプ場がある。その中から距離をみて枝幸町の「はまなす交流広場」に決めた。途中いつものようにセイコーマートで夕食を調達し、午後4時に目的地に着いた。そこは道の駅「マリーンアイランド岡島」の隣にあって、オートキャンプ場と芝生のキャンプ場の2つのエリアがあった。いずれも無料で炊事場やトイレを完備している。オートキャンプ場にはキャンピングカーが10台近くあったが、100メートルほど離れたキャンプ場でテントを張ったのは私だけであった。

広いキャンプ場にポツンと1張り

 漁場から帰るのだろうか漁船一艘(キャンプ場から眺める)
夕暮れまで周辺を散策した。すぐ近くが海だが草が茂って波打ち際は見えない。空は、日が傾くにしたがいコバルト色から群青色に変わり、水平線はオレンジ色の濃さを増していった。あたりが薄暗くなり、近くの林から聞こえる鳥が啼く声が一層大きくなった頃にテントに入った。

今日の走行距離268キロメートル
この続きは(その7)で‥
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五感で走った北海道(その5)

7月12日、ツーリング4日目。安平町の鹿公園キャンプ場で朝を迎えた。昨夜の雨は夜半に止んだのだろう、広い駐車場に水溜りは一つもない。公園には散歩する人も1人、2人見える。テントを乾かしているところに60代と思われる散歩中の男性が声をかけてきた。「バイクで旅行中ですか。いいですねー。私もやりたいなー、でも女房がうんと言わないなー 自衛隊を定年で退官してから、女房と車で旅行はしたんですが、腰が悪くなってから長距離はちょっと‥」「ここは良い公園ですね、設備が整っていて」と私、決してリップサービスではない。トイレは広く綺麗でウォシュレットも付いている。今朝使った実感だった。さらに日帰り温泉も近くにあるなんてツーリストにとってはありがたい。そんな会話をして男性は公園内の散歩コースに向かった。荷物を積み終えた7時45分、誰もいない駐車場を一回りしてから次の目的地に向かった。
 悠々と流れる石狩川
目指すのは最北端の宗谷岬だが、途中で一泊が必要、どこのキャンプ場にするかは状況を見ながら臨機応変に行こう。進路を北に、岩見沢、滝川、留萌、稚内と向かう。ん! 滝川、留萌、稚内‥なんか聞いたことがあるぞ! 「♪留萌・滝川・稚内♪」歌の文句だ。何の歌だったかなー ハンドルを持ちながら口ずさんでいるうちに思い出した。北島三郎の「風雪ながれ旅」だ。「鍋のコゲ飯袂で隠し 抜けてきたのか親の目を 通い妻だと笑った女の 髪の匂いもなつかしい アイヤー アイヤー 留萌・滝川・稚内」(作詞:星野哲郎) 唄の世界ではあるが、今、スーパーカブで走っているこの道を、昔、盲目の門付け芸人が杖をつきながら北に向かったのだろうか。私もアイヤー アイヤーと口ずさみながら原付バイクに荷物を山と積んで走っていると、現代の門付けと間違われそうだ‥なんてネ。

道内に27箇所ある自衛隊駐屯地の一つ留萌駐屯地
その滝川の手前で「美唄」という町を通った。唄の上手そうな美人が歩いていないか眺めながら走ったが、それらしい人は見当たらなかった。滝川から留萌に向かう途中、平野を悠々と流れている石狩川を渡った。川幅も広いが川の両側に広がる葦原も広大だ。大きく蛇行する川を見ていると自然の大きさが感じられ、流域面積が利根川に次いで全国二位もうなずける。国道233号の美葉牛峠を越えると日本海に面した留萌市に入る。さて、今日のキャンプ地はどこにしようかなどと考えていると、国道脇のグランドにカーキ色の多数のテントが張られているのを目にした。はて? バイクを停めてよく見ると大型ヘリコプターもある。陸上自衛隊留萌駐屯地であった。グランドに所狭しとテントが張られているのは何かの訓練なのだろうか。言わば野営のプロ集団である。今日はどこのキャンプ場にしようか‥などと考えている私はアマチュアである。調べて見ると道内には27もの駐屯地があるではないか。

留萌から国道232号を北上するとオロロンライン
さて、その留萌から日本館沿岸に沿って走る国道232号をひたすら北上する。日本海オロロンラインと呼ばれる快適なコースだ。青空のもとフラットな海岸線沿いの国道をひたすら走る。海と反対側は原野の丘陵で同じような風景がどこまでも続く。やがて道の駅「おびら鰊番屋」が見えてきた。休息しながらニシン漁で栄えた頃の展示品を見た。改めて知ったが、大量に獲れたニシンの大半は天日乾燥して肥料として本州に送られたとのこと。田畑の肥料にしたとは今考えるともったいない話だが、化学肥料がまだない時代には、食糧増産は富国強兵とともに国の命題だったのだろう。それと北海道に駐屯地が多いこととは関連がないと思うのだが‥
道の駅おびら鰊番屋の隣にある文化財「旧花田家番屋」
さて、今日のキャンプ地をどこにするか地図を見た結果、この国道232号オロロンライン沿いにいくつかキャンプ場があって、その中から、「とままえ夕陽丘キャンプ場」に決めた。町営で有料だが隣に「苫前温泉ふわっと」があり、4日ぶりで風呂に入ることもできる。午後4時にキャンプ場に着き、管理事務所で500円を支払い指定された場所にテントを張る。近くに、千葉ナンバーのハーレーで来ていた40代前半と思われる男性の先客がいた。彼もこれから北海道を回るというので、天候や愛車を話題に話をした。しばらくして話が途切れた頃合いをみて、夕食の買い出しに行く。初めての街でスーパーを探すのは時間の無駄なので、散歩中の女性に尋ねると「苫前にはスーパーは無いのよ。隣町に行かなければ‥」「コンビニは?」「セイコーマートならそこの道を曲がって‥」ということで北海道で最も多いセイコーマートで今宵のディナーを調達した。ちなみにセイコーマートは1,085店舗とセブンイレブンの949店舗を抜いている。
 夕陽丘キャンプ場
 キャンプ場の丘から見た苫前港 苫前温泉ふらっと。日帰り温泉を兼ねたホテル(パンフレットからの写真)
 夕陽丘キャンプ場という名称からも高台から望む夕日に期待したが、水平線の雲が夕日を隠して、残念。夕食前にキャンプ場の隣にある日帰り温泉「苫前温泉ふわっと」で4日ぶりの風呂を満喫したあと、いつものようにテントの中で1人ディナーを楽しんだ。
 本日の走行距離202キロメートル この続きは(その6)で‥

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五感で走った北海道(その4)

7月11日、ツーリング3日目。東大沼キャンプ場で朝を迎えた。キャンプでのツーリングは早立早着に心がけている。登山と一緒である、と言っても今日一日の晴天を約束するようなキラキラする光が漏れる木立の中にいると、テントをたたむ作業もゆったりしてくる。何の野鳥か知らないさえずりも聞こえる。駐車場には、昨日のワゴン車のほか乗用車5、6台と大型バイク4台があった。カブの隣に停めてある2台バイクは60代後半と思われる男性2人がそれぞれ荷物を積み終わり出発しようとしていた。簡単なあいさつをして見送った。私も荷物を積み終えると、名残りを惜しむように駐車場を一周してキャンプ場を後にした。湖畔の道路を半周し函館本線(大沼回り)の踏切をわたると間もなく国道5号に出る。そこから噴火湾沿いに長万部方面に向かう。海岸線のそばを通っているが、両側の樹木が深く海は見えない。ほとんど直線の道路は走りやすく、110ccの原付カブとはいえ車の流れに乗って走れる。

大沼を周回する道路

 函館本線(大沼回り)の踏切をわたると間もなく国道5号

出発から2時間で長万部を通過した。長万部は人口6000人を切った小さな町だが、覚えやすい名前のため頭に残っている。昔、初めて日本地図帳が学校教材になった小学生頃、クラスメートと面白い名前の土地を探すことに夢中になった時があった。何と言っても北海道がダントツであった。長万部とともに今も頭に残っているのは「ウペペサンケ山」である。同じクラスにいた三瓶という女の子とつながってしまって笑い出したこともあった。また、長万部は三木のり平が一発芸と言ってよいのか「オシャ・マンべ!」と変なアクセントをつけて笑いをとっていた時もあった。タケシの「コマネチ!」より前だと思う。その長万部を過ぎて室蘭を目指す。途中、洞爺湖の近くを通るが湖には寄らずに先を急ぐ。実は、昨日あたりからスーパーカブのエンジン付近から気になる唸り音がするようになっていた。それもアクセルを戻した時だけ音が出る。もしやと思ってバイクを停め、チェーンのケースの点検窓を開けチェーンの張りを見たところ、パンパンに張り過ぎていた。チェーンに遊びが無いことが唸りの原因とわかった。このツーリングの前に行きつけのバイク屋でブレーキシューの交換とチェーンも調整してもらったばかりだったのに。おかしい。考えてみると、荷台のボックスや荷物を積んでいない状態での調整だったので、重量物を積んだ後スプリングが沈みチェーンが張り過ぎてしまったのだ。今回のツーリングで持ってきた工具にシャフトナットに合うレンチを持ってこなかったので、バイク屋を探すしかない。そこで次の町の室蘭に急いでいる。正午過ぎに室蘭市街に入りバイク屋を探すと、丁度よくバイク販売店があった。「昼時にすみません。実は‥」とお願いしたところすぐに調整してくれた。工賃540円で済んだ。再びバイクを走らせると異音はしなくなった。気のせいかエンジン音も軽やかに聞こえる。やはり、機械も人間も遊びは必要なのだろう。張りつめたまま走り続けるとエンジンにも無理が加わり、いずれチェーンは切れただろう。

 室蘭市内のバイク屋で張り過ぎたチェーンを調整してもらう
さて、昼も過ぎたので今日のキャンプ地を決めなければ‥ 距離や地図に載っているキャンプ場を見て、苫小牧から北に25キロメートルほど離れた安平町(旧追分町)の鹿公園キャンプ場に決める。室蘭から苫小牧までの原野を走る国道36号は直線で走りやすい。

「かに御殿」という巨大なクマが屋根に乗っている食堂もこの沿線にあった。
さて、苫小牧市街に入り幹線沿いのラーメン店に入る。遅い昼食になったが、空腹には全国チェーンのラーメンも美味しかった。レジで二十歳代の女性店員に追分町に向かう道順を聞いたところ「追分高校は私の母校なので、よく知っているんですが‥ここから行くとなると‥えーと‥」急な質問にまごつきながらも丁寧に教えてくれた。そして、夕方6時前には今日のキャンプ地である鹿公園についた。この公園は安平町立の有料キャンプ場で公園内のログハウスが管理棟になっており申込書を記入する。テント1張り500円であった。近くに日帰り温泉もあるがあいにく休館日であった。残念。夕方から雨が落ちてきたので、バイクは東屋の下に停め、近くの桜の樹の下にテントを張った。駐車場は広く近所の子供たち5、6人が遊んでいた。夏休みが近いからだろうか声に元気がある。

 鹿公園の入口

 鹿公園のキャンプ場

今日は大沼公園から安平町まで走った
 今日は260キロメートル走り心地よい疲れの中、テントの中で雨音を聞きながら寝袋に入るのであった。 この続きは(その5)で‥

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五感で走った北海道(その3)

自宅を出発し2日目で北海道に着いた。函館市内でも見学したいところだが、午後3時30分を過ぎているので、まず今日のキャンプ地に落ち着くことが先決だ。そこでキャンプ地を北海道でも人気の高い「東大沼キャンプ場」に決めた。函館からは約35キロメートル、約1時間で着くだろう。まず、函館市内で今夜の食料を調達する。今回もキャンプでの食事はスーパーやコンビニの惣菜や弁当にする。以前は簡単な調理をしたこともあったが、調理する時間より走る時間を長く取りたいことと、荷物をより少なくしたいことから携帯コンロやコッヘルなどは持ってこない。早くキャンプ場に着いた時にも調理のことは考えずに済む。その時間を周囲を散策に向けて、その土地土地の生活感を感じることが楽しみになっている。見知らぬ町のスーパーで、今日の特売品は‥などと物色しているとその町の住人になったような気分になる。その日もイオングループのスーパーで「石臼挽き冷しとろろそば」「一口いなり寿司」「温泉たまご」「小岩井純粋ぶどうジュース」を買うのであった。
 国道5号沿線のスーパーで夕食を調達する(グーグルのストリートビューから)

さて、函館から大沼公園までの道路は自動車専用道路が整備されている。しかし原付は通行できないので並行している幹線を走る。ほとんどの車が無料の自動車専用道路を通るため幹線の方は車が少なく、まっすぐな道をのんびりした気分でしばらく走った。また、その幹線は遠くに函館市街を見下ろす位置にあるため、北海道を走っているという実感が出てきた。道路沿いの木立が密集してきた頃に大沼公園の道路標識も見えてきた。国道5号を右折すると木立の間から傾きかけた日の光を反射ている湖面が見えた。その向こうには駒ヶ岳の勇姿も見える。
 大沼公園を周回する道路 (翌朝の朝に撮影)


東大沼キャンプ場の入口 (グーグルのストリートビューから)
 細長い湖に沿った道路を約10キロメートル進むと今日のキャンプ地の東大沼野営場が現れた。湖畔のキャンプ場は、幹周りが熟年おばさんのウエストぐらい?の樹木が適度に繁って居心地が良さそうなところであった。見渡すとテントが10張りぐらい、日の入り前の淡い黄金色の光が、木立の地面をまだら模様にしている。
テントを張り終えて荷物を収めるまでの20分間に光の濃さも増し、向こうの山に日が沈もうとしている。水場とトイレの場所を確かめ、駐車場の片隅に置いたカブにフライシートを被せる。能代市から大沼まで196キロメートル走行したカブに労いの言葉をかけたくなる。
駐車場には60代後半と思しき夫婦がワゴン車をキャンピングカーに仕立て、側に置いた折りたたみテーブルで夕食の準備をしている。そこに同じようなワゴン車から男が歩いてきて話しかける。男は70代ぐらい半分白髪の長髪を後ろで束ね、ひげを伸ばした様相は旅慣れた感じがする。そこでの会話、女性「今回初めて1週間の旅行をしたが、ゴミが溜まってねー、車にいっぱい詰まっている、まるでゴミを運んでいるようだ」旅慣れた男は「ギュッと潰して、コンビニのゴミ箱に置いてくると良いのに。缶ジュースでも買って‥俺はいつもそうやっている」居心地が良いのだろう、駐車場には連泊するキャンピングカーもあるようだ。そこで同じような旅行者同士が知り合いになるのだろう。
日も落ちてキュンプ場内が陰り始めた頃、私のテントから十数メートル離れたところに50代ぐらいの男性が四畳半ぐらいのハウス型テントを組み立て始めた。1人だけだが家族が後でくるのだろうか。折りたたみ椅子とテーブルもセットし終わって、辺りは薄暗くなったがまだ1人、椅子にくつろいでいる。翌朝、彼は1人でテントをたたんで去って行った。キャンプ用具の試用だったのか、1人で至福のときを過ごしに来たのか、旅行中の様子ではなかった。
また、それとは逆方向の十数メートル離れたところには一回り大きい柄模様のテントが張ってある。ここは中国語を話す男女が2、3人出入りしていた。夜中に大きなイビキが聞こえたテントだ。


日の入り前の淡い黄金色の光が、木立の地面をまだら模様にしている
さて、最後まで明るかった湖面も暗くなったころ、テントに入ってLEDライトの下で夕食を食べる。テントの中での食事は美味しい。それはテントという凝縮された空間に合わせて食事の味も凝縮するのかもしれない。食事の後、目をしばたたかせながらパソコンに今日のブログを打つ。21時過ぎ寝袋に入り、明日のコースなどを考えながら眠りについた。この続きは(その4)で‥

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五感で走った北海道(その2)

7月10日、ツーリング2日目、能代市内の米代川河口近くの公園で朝を迎えた。風力発電の高さ120メートルを超える巨大風車の下にテントを張ったが、寝苦しいこともなく熟睡し、スッキリ目覚めた。5時30分頃になるとウォーキングの人や犬を散歩する人が数名現れた。公園は海岸の堤防とつながっていて、堤防の上は遊歩道になっている。潮風を受けて朝の光を反射した海面を見ながらのウォーキングはなんと爽快なことか。これを日課にしている人が羨ましい。
さて私の方は、北海道に渡るフュリーの予約がネットでできなかったので、とりあえず青森港フェリー乗船窓口に急ぐことにする。テントを収納し、公園のトイレ脇の水道で顔を洗って6時15分に出発する。国道7号を北秋田市、大館市を通って青森県との境、矢立峠を越える。このあたりは山が深く昔は阿仁マタギのホームグランドだったのだろう。しかし今は国道も整備され、幹線を走るかぎりマタギと結びつくような集落は見当たらない。峠をトップギヤーで越えて青森県に入った。しばらく走ると遠くに岩木山が見えてきた。津軽富士と呼ばれるように単独峰で裾野がきれいに広がっている。つい「♫〜きっと帰ってくるんだと〜♫お岩木山で手を振れば‥」などと口ずさみたくなる。そんな弘前市を過ぎて青森市内に入った。

 弘前市の郊外から望む岩木山
青森市街に入る手前で国道を北に折れ、10時30分にフェリーターミナルについた。早速、乗船窓口に行き、受付のメガネをかけた小太りの男性に「予約はしていないのですが‥」恐る恐るたずねると「次の便でいいですか。11時35分発になります。」「え! お願いします♪」1時間後に出港、ラッキーだ。時刻表を見ると津軽海峡フェリーと青函フェリーが交互に運行しているが、次の出港は青函フェリー「はやぶさ」だ。大人1人2000円、原付バイク2000円を支払い、乗船待機場所にカブを移動する。待機場所には、バイクが7〜8台、乗用車が20台ぐらい、トラック数台が乗船指示を待っている。待っている間、40歳ぐらいの男性が話しかけてきた「これから北海道を回るんですか? いいですねー」これをきっかけに彼と乗船まで話をした。彼は道内に住んでいるが、中古車を買って家に戻るところだという。本州の方が車種が多いので‥と言いながらジムニーのボンネットを手で撫でていた。彼とは北海道の交通事情を話した。「道内の速度取り締まり。以前は制限速度を20キロ以上オーバーしなければ捕まえなかったが、最近は10キロと少しでも捕まえるようになった‥」「自分はカブなのでそんなにスピードを出さないが、気をつけなければ。」そんな話をした。

 青森フェリー埠頭 津軽海峡フェリーと青函フェリーが出ている

 乗船待機場所。バイクは最初に乗船するのでこの後先頭に移動した。
フェリーは定刻の午前11時35分に出発した。函館港には約4時間後の午後3時25分に着く。航行中は、2等カーペット席では横になり北海道に思いを巡らし、また、津軽海峡の潮風にあたって右舷から下北半島を左舷からは津軽半島を眺めて過ごす。またここで「♫〜ごらんあれが竜飛岬北のはずれと‥♫」という歌詞が頭の中に夏の入道雲のように膨らんできた。一応言っておきますが、私は音痴でカラオケを強要されると冷や汗がでるタイプです。でもその時々の心情にあった歌を聴くのは好きです。北海道ツーリング中は土地土地でいろんな歌の歌詞が浮かび、口をパクパクしている自分がいた。

 二等客室カーペットルーム この日は広い部屋に数名が雑魚寝
一方、右舷から眺める下北半島は、仏ヶ浦の切り立った断崖が白く見える。そこは観光船も出ている観光名所だが、ここフェリーから眺める仏ヶ浦は何か暗いイメージがある。それは、昔見た映画「飢餓海峡」が影響している。昭和40年制作、内田吐夢監督のこの映画は、のちの刑事ドラマにも大きな影響を与えた不朽の名作。出演・三國連太郎、伴淳三郎、左幸子、高倉健ほか。物語は、北海道の小さな町で起こった強盗殺人事件で始まる。犯人3名は質屋から奪った現金を手に本州への逃亡を図る。折しも津軽海峡では台風で青函連絡船「洞爺丸」が転覆し1,155名もの犠牲者を出す(ここは実話)。その混乱に乗じて犯人3人は奪った船で津軽海峡を渡る。しかし、下北半島の仏ヶ浦に着いたのは1人だけであった。洞爺丸の犠牲者の中に2人の身元不明の死体があった。事件の捜査線に浮かんだ3人の男を追う刑事(伴淳三郎)、しかし下北からの行方がつかめない。年月が過ぎ、犯人の1人は事業に成功し篤志家となっている。そして新たな事件が発生する。すでに定年になった元刑事に協力の依頼が来る‥少々長くなったが、この映画で津軽海峡と下北半島は重要な背景になっていたのを思い出した。旅をしていて映画やドラマの舞台になった場所に出会うと映画の一場面が現実のように浮かんで来る。このツーリングでは他にもあった。内容は後で述べるが富良野の麓郷だ。
名作「飢餓海峡」で津軽海峡、下北半島、仏ヶ浦は重要な背景になっていた


乗船待合所で会話した彼とカップラーメン自販機の前で再び会い、お互いニヤニヤ
船上での4時間は早く過ぎ函館山が見えてきた。いよいよ北海道に上陸だ。

 函館山が見えてきた。いよいよ北海道上陸だ。
さて、今日のキャンプ地を決めて明るいうちに設営したい。
この続きは(その3)で‥

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五感で走った北海道(その1)

今年の長距離ツーリングは北海道に決めた。ほんの1ヶ月前までは、山陰地方から九州に足を延ばす予定でいたが、その頃の九州や西日本は集中豪雨などの災害が頻発していたので計画を変更し、7月が良いという北海道を選んだ。北海道には、二十歳代に函館までバイクで行ったこと、また、自転車で帯広市周辺に行ったことがあるが、いずれも1週間程度のツーリングだったが、今回は、2週間ほどで北海道を一周する予定を立てた。
私は、ツーリングにあたってテーマを持つことにしている。「○○をする」「〇〇について調べる」と言った仰々しいものでない。「〇〇はどんなだろう?」「○○が見られるだろうか?」のような漠然としたものだ。一方では、気ままに、真っ白い画用紙のような気持ちで、行く先々の出会いを楽しむこともツーリングの醍醐味であるが、そこにテーマを持つことで、さらに周囲を見るアンテナの感度が高まるような気がする。そこで今回、北海道をぐるっと回る中で何を探すか考えた結果、これぞというテーマが見つからない。それで、視覚、聴覚など自分の五感を使って写欲をそそる光景と出会ったら、今回新たに買ったデジカメに五感で感じたものを記録しようという思いで、テーマを「五感で走る北海道」にした。この旅で出会うのはどんな風景や空気感だろうか。そして何を感じるだろうか。

今回のツーリングのために買ったペンタックスQS1  標準スーム、望遠ズーム、魚眼レンズが全部片手に載る小ささ。価格も五本の指で買える。

(第1日目、自宅〜能代市)
平成29年7月9日午前9時、スーパーカブ110プロに78ℓのボックスを載せ山形県上山市の自宅を出発する。まずは秋田県を目指し国道13号線をひたすら北上する。天気は快晴だ。屋外で仕事をする人には厳しい暑さだが、バイクで遠くの山並みを眺めながら走るには、心地よい走りができる青空だ。正午前には新庄市にから国道47号線に入る。最上川に沿ってしばらく走ると、川岸に二本ののぼり旗が立っており、その前で10数名が川面に向かって整列し手を合わせている。中央には神主らしい方もいる。対岸の緑深い山、その前を薄い緑をキラキラ反射しながら流れる最上川、赤い鳥居と垂直に立つ白いのぼり旗二本、何かを祈る人の列、なんとも絵になる光景が見えた。通り過ぎたが思い直してUターンし、カメラを取り出す。いざ撮ろうとした時にきは、整列した人はすでに帰り始めていた。「うーん。シャッターチャンスを逃してしまった。
最上川沿いで出会った光景。ご神体は川向こうにあるのか、川そのものなのか‥

バイクに乗っていると写欲をそそる光景に出会う。でも多くの場合そのまま通り過ぎてしまう。調子よく走っている時にバイクを止め、カメラを取り出すことが面倒になってしまうからだ。でも、通り過ぎるとほとんどの場合後悔してしまう。今の場面には二度と出会わないという思いが、胸焼けのように残ってしまうのだ。今回の旅では、ちょっとした光景でも心に引っかかるものがあればとにかくバイクを止めて撮ろう、スーパーカブの身軽さを生かそうと心に決めた。

やがて川下りの観光船が見えてきた。舟下りコースになっている戸沢村古口から草薙までの12㎞は最上峡と呼ばれ、川の両側は急峻な山が迫り、春の新緑から紅葉、雪景色と一年を通じて景色が堪能できる。国道は最上川に沿ってカーブが続く。やがて対岸の白糸の滝が見えてくると、舟下りの終点にもなっている数件の旅館がある草薙温泉である。最上峡を抜けると庄内町に入る。庄内町は米どころ庄内平野の東の端に位置し、山形県内では数が少ない風力発電の大型風車が町おこしのシンボルになっている町である。稲穂は風にそよいでいるが、風車は回っていないように見える。庄内町で最上川にかかる橋を渡り、旧松山町に入る。酒田の市街地を避けて北進する。旧八幡町に入った時はすでに午後1時を過ぎていたので、交差点近くの入りやすいコンビニに寄り菓子パンを買い駐車場の日陰を見つけてほおばる。郊外にもかかわらず立地場所が良いのだろう、車やバイクが次々と入ってくる。その中で、長期間のツーリングを思わせる銀マットや寝袋をくくり付けたスーパーカブは目立っている。いや、自分だけがそう思っているだけかもしれない、多分そうだろう。また、人目を気にしていることが、初日の気負いが抜けきっていないからだろうか。腹もさほど空いていないのもそのためだろうか、形ばかりの昼食を済ませて出発する。遊佐町で国道7号に合流し日本海沿いを北進する。右側には緑一面の水田の向こうに鳥海山がそびえ立っている。山頂部分だけ白い雲がかかっていることでも夏の暑さが感じられる。

遊佐町付近から望む鳥海山。出羽富士と呼ばれる名峰

程なく秋田県に入った。由利本荘市から秋田市にかけて、海岸線の小高い丘には風力発電の風車を数多く見かけた。私が住む山形県の内陸部では見かけないので、どうしても目で追ってしまう。秋田市内で午後3時を過ぎたので、今日のキャンプ地を決めなければならない。海岸に近い公園に目星をつけ地図で探したところ、能代市の米代川の火口近くにある公園にいって見ることにした。そして、テント設営や食料調達を考えると調度良い午後5時30分に公園に着いた。そこは、少々伸びた芝生で、近くにトイレもある。何より目立つのは、風力発電の巨大な風車である。羽根の直径が82メートル、地上から羽根の先端まで119メートルもある。普通は、風車の周りは立ち入り禁止なのだろうが、ここは公園内のためだろうか、柱(ハブ)に触れることもできる。柱の根元で真上を見上げると羽根(ブレード)がゴーッという風を切る音をたてて回る様は、ちょっと怖いほどである。テントはそこから約50メートル離れた芝生に張ることにした。ほとんど風車の直下と言ってよい。このようなシュールな場所を寝床に、果たしてどんな夢を見ることになるのか。

初日のキャンプは能代市内の公園。

キャンプした公園のグーグルマップ。公園の中に巨大風力発電があることに驚いた

さて、能代市から青森フェリー埠頭までは、150㎞、半日で行ける距離だ。明日の午後にはフェリーに乗れる。ネットで乗船予約をしようとしたところ、「ネットでの予約は出港の2日前までです」えっ、明日の予約はできないのか⁉︎ 津軽海峡を前にして丸一日どうすればよいのだろう。うーん。考えてもしょうがない。とにかく、明日、フェリーの乗船窓口に行ってみる他ない。そんな一抹の不安を抱いて寝袋に入った。
(その2)に続く
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バイク雑誌に四国八十八ヶ所ツーリングが掲載されました

明けましておめでとうございます。この年末年始は路上に雪がなかったことから、師走の30日までバイクに乗りました‥と言っても2つ先の町までの買い物、往復40キロを走っただけです。上下の防寒対策は十分だったのですが、グローブが風を通すものだったので、帰りには手がかじかんでしまいました。でも、顔を刺すような寒さの中で風を切って走る楽しさは変わりありません。暖かくなったら、どこに行こうかなどと思いを巡らせながら‥。
さて、数多くのバイク雑誌がある中で、「アウトライダー」は、バイクツーリングの楽しさを重視し、メカニックやライダーテクニックなどの情報より、旅の楽しさを伝える比較的万人向けの雑誌です。この雑誌では、読者の旅の体験「ツーリングレポート」を募集していたことから、昨年7月の四国八十八ヶ所ツーリングを投稿していました。8月に投稿したのですが半年近く経っても掲載される兆しがなかったので諦めていたところ、先日、発売前の雑誌が編集部から送られてきました。
ページをめくると投稿した記事が載っていました。
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投稿した内容は、このブログの要約したもの

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四国八十八ヶ所巡礼ツーリング20(最終回)

7月22日、20日目の朝は三重県四日市の駅前にあるビジネスホテルで明けた。ということで、前回の問題は、途中寄った町が忍者の里「伊賀市」そして「四日市市」に到着でした。
さて、今日は、四日市から名古屋までの幹線国道を大型トラック群と並走して名古屋港に着き、19時発の太平洋フェリー「きそ」にカブと一緒に乗船しました。22時間後に仙台港に着き、明日中には自宅に着きます。今、船内でブログを書いてますが、今回のツーリングブログは今回が最終回となります。
名古屋
 四日市から1時間程度で名古屋に到着
名古屋港
 フェリー乗場  乗船するフェリー「きそ」は日本最大クラス
出航
黄昏れた名古屋港を出発し、今回のツーリングも終わりを迎える
納経帳2
納経帳への押印、記帳はまさにチェックポイント

3週間におよぶツーリングが終わろうとしている。テレビや本で得た知識で霊場八十八ヶ所を回ろうと思い立ち、詳しいスケジュールは持たず一番札所から八十八番札所まで順番どおり回ろう、あとは臨機応変にという思いでスタートした。振り返ると、原付バイクで八十八ヶ所を回るということは、ラリーをやったような体験だった。(実際のラリー経験はないが‥) 総走行距離2900キロメートル、チェックポイントの数88ヶ所、各ポイントでは、ろうそく・線香を供え、般若心経の朗読、合掌祈願ののち納経帳に記帳してもらう。そして次のチェックポイントに向かう。ポイントの間隔は数キロと近い所もあれば数十キロと半日かかる所もある。つづら折れの山道を登ったり、住宅地の路地を進んだりとカブの手軽さが発揮出来る場面の多いこともこのラリーの特色と言える。
また、宿泊場所も直前にならないと決まらないというのも特徴の一つ。今回の20泊の内訳は、キャンプ9泊、民宿5泊、ビジネスホテル4泊、フェリー2泊であった。フェリー以外は事前予約なしの飛び込み。四日市ではビジネスホテル3件続けて満室でようやく4件目で泊まることができた。地図に書いてあるキャンプ場が行けども見つからず山中で夕暮れになることも・・。
人との出会いも長い旅での思いでのひとつ、日本一周のオヤジ、震災にあって札所で支援を求める若者、歩きお遍路7回目の70代の男性など様々。
このように多くの体験をした3週間だった。今回出かけられたのも家族をはじめ周囲の理解があってのことである。せめて留守中の心配を少なく、一緒に旅の気分を感じてもらえたらとブログにアップしたが、つたない文に目を通して下さった皆さんに感謝し、最終回とします。
さて、次回はどんな旅にするか‥
いつかわからない次回に続く 明日の心だー
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四国八十八ヶ所巡礼ツーリング19

7月21日、19日目の朝は和歌山県の比叡山近くのキャンプ場で明けた。昨夜は渓流の音や蛙の鳴き声など賑やかだった。そろそろ夜明けかと思って時計を見ると1時半、2、3時間熟睡したようだ、高野山への往復はカーブが連続した山道の運転で神経を使ったのだろう。さっそくテントをまとめ、山形の三人組にあいさつしていざ出発。
玉川峡
蛙の声だったのだろうか?  深夜いろんな鳴き声がした玉川渓流
さて、ここで皆さんに問題です。今日はどこまで行くのでしょうか⁉️
ヒントは、途中に寄った町の写真です。
伊賀上野城
お城です
忍者屋敷
武家屋敷のようです
忍者屋敷2
もう解ったでしょう。
そして、今日の到着地は⁉️
四日市
大気汚染、公害病で知られた町は昔のこと
四日市国道23
国道23号線をひた走る
今日の宿
そして今日の宿
ホテルの窓から
宿の窓から見える駅
四日市までのルート
今日は200キロ近く走った。
皆さん解ったでしょうか⁉️
答えは・・・次回に続く 明日の心だー

四国八十八ヶ所巡礼ツーリング18

7月20日、18日目の朝は徳島県阿波町の民宿で明けた。この民宿は今月5日に泊まった10番切幡寺の門前にある民宿である。宿の人も覚えており歓迎されたが‥「実はクーラーが壊れていて、直すまで休もうかと思っている」とのこと。夕方6時にもなるので他にあてもなく、扇風機があればよいと言って泊まることにしたのだった。荷物を降ろして宿帳を書こうとしたら、5日の私の名前の後には、一人の名前しかなかった‥。
民宿
2週間で客1人の民宿を出発し、朝の清しい日を浴びて徳島港へ急ぐのだった。
四国三郎
徳島港への途中、四国三郎の異名を持つ吉野川に架かる橋
徳島フェリー乗り場
民宿から一時間半で徳島港フェリー乗り場に着く
フェリー乗り場に来ると、感慨深くなるのは私だけではないと思う。旅の始まり、これからどこかに向かう玄関。また、旅の帰路として‥ 出発まで2時間待ちなので、荷物の整理や観光パンフなどをながめて過ごす。
フェリー内部
この便でバイクを積んだのは私一人だった
さらば四国
さらば四国  和歌山港までは2時間
和歌山港から炎天下の中、高野山の登り口になる橋本市に、そこからは、山道を20数キロ登る。今回のツーリングでは山道を何度も上り下り、これが最後だ頑張れカブ太郎。
高野山大門
そして、高野山に着く
高野山大伽藍
高野山のシンボル壇上伽藍
弘法工房大使
高野山奥の院にある弘法大師御廟
奥の院で、八十八ヶ所遍路を無事終えたことの報告と感謝を祈る
納経所ではおめでとうと感謝を言われ、最後の記帳を頂いた。
さて、奥の院には、歴代有名人の墓や大企業の慰霊塔などが並んでいた。
浅野内匠頭
写真をパチリ。オット、ちょっと戻って手を合わせた
震災慰霊碑
合掌
キャンプ場
今日の宿泊地は、高野山から10数キロ下ったところにあるキャンプ場。鮎の漁場にもなっている清流沿いのキャンプ場。
キャンプ場には私以外一組だけ。車のナンバーを見るとなんと山形ナンバー。あいさつすると、山形市と朝日町の男性3名で、八十八ヶ所を逆回りで終え、明日、高野山に行くとのこと。夜、反省会に招かれ、テントの中でお遍路を話題にいっときの酒宴に加わる。なんとも偶然である。
キャンプ2
 渓流沿いのキャンプ場
キャンプ3
キャンプ場脇の清流は鮎の漁場となっている
さて、ツーリングも明日から帰路になる。
それでは次回に続く。 明日の心だー

四国八十八ヶ所巡礼ツーリング17

7月19日、3連休明けの火曜日、旅に出て17日も経つと今日は何日、何曜日? となってしまう。今日は81番からで、スムーズにいくと88番まで行けるとあって、坂出プラザホテルの展望風呂で朝風呂に入り、瀬戸大橋をまで高架橋を眺めながら自分に気合を入れるのタブ太郎シニアであった。
瀬戸大橋を望む
霞んでいるが瀬戸大橋に続く高架橋を望む。手前は坂出港
今日のルート
結果、81番白峯寺、82番根香寺、83番一宮寺、84番屋島寺、85番八栗寺、86番志度寺、87番長尾寺、そして結願となる88番大窪寺まで回ることができた。1番霊山寺から初めて、徳島、高知、愛媛、香川と回って15日間での88寺参拝だった。そこから再び徳島に戻って2週間前に利用した切幡寺近くの民宿に泊まることにした。
白峯寺から瀬戸大橋を
白峯寺は、山の上にあって途中の道から遠くに瀬戸大橋を望むことができる
81白峯寺
81番白峯寺
I82根香寺JPG
82番根香寺に登る階段 この寺も山の上にあってスカイラインを登っていく
84屋島寺
84番屋島寺
ここに来て初めて知ったが、源平合戦の屋島壇ノ浦の戦いはここだった。
屋島壇ノ浦
屋島寺から見た屋島壇ノ浦
讃岐平野
85番八栗寺も屋島寺に向かい合う山の上にあって、そこからは讃岐平野が望める
八栗寺
85番八栗寺
88大窪寺
そして、88番大窪寺に着くことができた。
それでは、次回に続く。 明日の心だー。

四国八十八ヶ所巡礼ツーリング16

7月18日、お遍路ツーリングも16日目に入った。いよいよ後半である。今日は、香川県観音寺市のビジネス旅館を朝8時半に発ち、70番本山寺、71番弥谷寺と回って、80番国分寺まで11カ所を回った。比較的平地に周知中していたこともあってこれまで一番多く回れた。そして今、瀬戸大橋を望む坂出市のビジネスホテルにいる。
71弥谷寺
71番弥谷寺
71弥谷寺2
弥谷寺は山形の山寺に似ていた。階段を500段以上も登る。
72曼荼羅寺
72番曼荼羅寺 
八十八ケ所の寺は、山をどこまでも登らなければならない所や街中にある所、そしてこのように田んぼの近くにある寺など様々、このような寺へは農道や狭い路地を通るが、それにカブは最適。
73出釈迦寺 73番出釈迦寺
75善通寺
75番善通寺
善通寺の規模はこれまで回った寺で最も大きな敷地であった。もっとも所在地も善通寺市と市の名前にもなっている。
善通寺五百羅漢
善通寺には五百羅漢があった。数多くの羅漢の中に自分に似ているものがあるという。いろんな表情の羅漢があるが、自分に似ているというより、自分にもいろんな表情を持っているということなのかと思う。人間生きていく中でいろんなことがある(いろんな表情が出てくる)‥ということだと思う。
80番国分寺
80番国分寺 八十八ケ所の中には国分寺か徳島、高知、香川と3つある。
この香川の国分寺でのこと。20代後半か30代の青年から81番への道を聞かれ、私も地図を見ながら進んでいるので正確に教えることはできないと正直に答えた。そこから会話が続き、「自分は熊本から来て自転車で八十八ケ所を回っているが、ここ数日体調を崩している。泊まりは寺の通夜堂に止まっており、地元の人から、お接待としてパンなど貰っている‥」とのこと。そして、おもむろに托鉢用の小さな堂のお椀を見せた。
私は、自分もテントを持って回っているので余裕はないと言いながら、五百円硬貨を托鉢椀に入れた。青年は喜んで何度も礼を言った。果たして、青年が言ったこと、熊本で家も壊れ仕事も失ったことなど‥自転車は確かにあったが荷物は積まれてなかった‥
真実はわからない。青年の話の途中からこれは托鉢のお願いであり、自分はどうすべきか半分の頭で考えていた。青年の話が本当かどうか判らないで、自分はどうすべきだろうと。その結果、小銭入れにあった五百円ワンコインを寄付して、自分の気持ちとして整理した。日本一周の親父と会った時も五百円だったが、今回も五百円。五百円は本当に便利だ。旅に出るといろんなことに出会えるなー。
坂出プラザホテル
本日の宿泊地、坂出ブラザホテル。
坂出市には適当なキャンプ地はなく坂出港に近く瀬戸大橋を望む
ビジネスホテルに泊まる。
残りはあと8カ所、次回に続く。 明日の心だー。
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四国八十八ヶ所巡礼ツーリング15

7月17日、愛媛の名峰「石鎚山」の麓にあるキャンプ場を7時過ぎに出発し、61番香園寺から69番観音寺まで9カ所を回った。天候はどんよりとした梅雨空、時々雨も降ってくる1日だった。今日回った中で、特に大変だったのが「66番雲辺寺」その名前のとおり香川、愛媛、徳島3県の県境に近い山の中のにあって、林道を20キロ近く登らなければならない。今日の天気の中、まさに雲の中の寺のだった。そして、ここからは香川県に入った。
石鎚ふれあいの里キャンプ場
 昨夜泊まった石鎚ふれあいキャンプ場
61番香園寺
61番香園寺 珍しい鉄筋コンクリート造りの本殿。大きなホールのよう。中には大きな大日如来が鎮座していた。
63番前神寺
 64番前神寺
三角寺参道
 66番雲辺寺の参道
68、69
68番神恵院と69番観音寺は同じ敷地に並んでいた
オイル交換
相棒のカブは自宅を出発してから2000キロメートルを超えた。そこで新居浜市のバイクショップでオイル交換を行う。
今回のツーリングで100ミリリットルほど減っていた。バイク屋オヤジによると特に夏場は減りが早いとのこと。交換のタイミングとしては良かった。心なしかカブの音も快調。
三角寺の帰り道
雲辺寺からの帰路。行きは狭く薄暗い林道を20キロ近く登った
今日の旅館
今日の泊まりは、香川県観音寺市内のビジネス旅館
今日は、ここで洗濯機を借りてまとめての洗濯
ところで、今日はタイミングが良いというか、観音寺の町ではお祭りで、「よさこい」のような踊りを県内各地から何グループも集まって大変賑わっていた。私も地元人になって見学した。
祭りその1
 よさこい踊りのような創作踊り
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観音寺市は人口62000人。踊りのグループは県外からも来ていた
それでは、次回に続く。明日の心だー